惜 別 1

 

弔辞

四谷大塚仲間の弔辞

色紙寄せ書き

ラグビーボール寄せ書き

サッカーボール寄せ書き

謝辞

 

富久へ    元・別所小学校6年2組

お前の親父さんに「弔辞を読んでくれ」と言われた時、「はい」と言ってしまったけど、俺の中にお前に送る「別れの言葉」はない。いくら探しても見付からない。だから、俺はお前に別れは告げない。お前は俺たちの心の中で生き続けているから。

小学校の時、悪ふざけして、ガラスを割ったりしたよな? でも、勉強やスポーツが何でも出来て、俺たちの面倒を見てくれていたお前は俺達の「ヒーロー」だった。

昨年の正月、引っ越した「三ツ沢」の家から「別所」の俺の家まで、ボクシングを始めたから「ロードワーク」だと言って走ってきたよな? 驚いた。富久らしいなと思った。また一段と逞しくなっていたお前がうれしかった。友達を集めて、一晩夜明かしして語り合い楽しかった。お前は俺達といると「最高だ」と言ってくれた。俺達はお前に巡り会えたこと、親友でいられることを誇りに思う。

また、俺達の所に「ロードワーク」をしながら、会いに来て欲しい、「元気か?」と言って。

2000年3月11日

 

弔辞      麻布高校二年 

過去を振り返ってもしょうがないことだけど、あの日、あれが前から突っ込んできたのなら、お前は得意の右ストレートやハンドオフで切り抜けていたと思う。

そのことはお前が一番悔しいと思うことだろうし、その気持ちは本当によく分かる。

後ろからは反則だよな、富久。

つい二、三週間前にようやく部活を引退して、みんな受験モードに入っているのにまだお前はボクシングを続けるつもりでいたな。お前は文系だから国立大学だったら、社会科が二教科必要なのに、来年の選択で、お前は一教科しかとらなかった。どうしてだって? オレが聞くと、もう私立一本に絞ったってお前は言ってた。お前はもともとできる奴だったから、あの時オレは正直もったいないなあと思ったけど、今考えれば、お前は他にやりたいことが沢山あったんだよな。今までもそうだった。サッカー、ラグビー、ボクシング、あるいは将棋、麻雀、ラーメンとお前は積極的にいろんなことをして、自分が本当にやりたいことが何なのかを探していて、見つけたらそれに没頭して、集中して、負けたら悔しがって、勝ったら自慢して...。

世の中にお前ほど自由に、かつ自由の中でも自分をコントロールして生きた奴はいないだろう。そんなお前はオレらの誇りだし、オレらの人生の中で絶対忘れられない存在になる。

次の日会うのが当たり前だった学校帰りの横浜駅での別れのように、「じゃあな、富久」

本当にありがとう。

2000年3月11日

 

弔辞       麻布高校二年 

富久信介君は今から一年くらい前にラグビー部に入部してきました。ポジションはフランカーでした。得意プレーのハンドオフを使って、彼が走るたびに、タックルに来た敵は「ペチッ」「ペチッ」という音がして、タックルをすかし、必ずゲインしました。また、敵を2、3人引きずりながらも何mも走ったりするような、強い奴でした。「勝つ」という気迫も他の奴らとは違い、とても頼りがいのあるプレーヤーでした。ラグビーの試合観戦も、皆が勉強して来ない中、期末前日とかに国立に見に行ったりしました。近頃はボクサーのくせに何故かラーメンを極めるとか言って、猛烈にラーメン店をまわりまくっていました。奴が言うには3ヶ月で70軒まわったとのことでした。そうかと思えばボクシングの試合が近づくと、服を着込んで有栖川の周囲を走りに行ったり、減量のため飯を食わなかったりしていました。

富久はボクシングの強い恐ろしい奴という感じではなく、親しみやすいというか、思わずからかってしまい、逆にからかわれるような、何か、人を引きつける魅力があった。また、場を無意識の内に盛り上げてしまうような華というか、そんなもんが感じられた。あいつはあいつにとって悔やみ切れない事故で命を落とした。俺はあいつが電車が突っ込んだということで死んでしまう器の奴ではなかったと思うし、もう少し場面が違えばよけられたと思う。反射神経すげーだろと言うあいつがうかんでくる。あいつは太く短い人生を生きた。でも、まだまだぶっとく生きて行くはずだった。ありがちな言葉ではあるが、俺は富久は最高の友人だったとマジで言える。もう少しあいつとしゃべり合いたかった。ユーレイになってでもいいから出て来て欲しい。富久のことは忘れることはできないし、死んだなんてことは信じられない。最後に富久とラグビーできて良かったと言いたいです。

2000年3月11日

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四谷大塚・麻布栄光特別コースの仲間のメッセージ

富久へ

夏にZ会で会った時、山のように高かったおまえの背をこしていて少しうれしかったのを覚えているよ。あの時はほとんど話せなかったけど、もっと話しておけばよかったと思う。高3になってまた会えると思っていたのに。

それから引っこす前のおまえの家に行ったのも覚えているよ。そのころは将棋が好きで同じ麻布に行った岡村と3人で将棋をたくさんさしたね。

四谷の思い出はここにはかききれないほどあるけど、2年間、5、6年の間に一番一緒にいて、仲が良かったのはおまえだった。

その後も文化祭にいっしょに行ったりしてたね。でも結局、最後は文化祭なんかそっちのけでサッカーとかバスケをやったね。

まだおまえが死んだっていうのはよく分からないけど死んだら会おうね。ずっと忘れないよ。

 

富久君

君は僕のあこがれでした。自分の考えをしっかり持っていて、また、運動神経などもすごく、とにかく魅力的でした。とりわけ、僕は富久君の思いやりに”富久信介”という人間の素晴らしさを感じました。

それは、ちょうど僕達が中学を受験していた時の事です。”覚えていますか?”僕が立てつづけに入試で不合格になり、もうダメだと落ちこんでいた時、富久君は夜、僕に電話をくれましたね。「元気出せよ。ここまで頑張ってきたじゃないか。君の力だったら絶対受かるよ。いままでは運が無かっただけ。明日は頑張れよ。絶対受かるよ」と。僕は、この言葉にはげまされ、スッキリとした気分で次の日の試験を受けることができ、見事、合格できました。本当に君のおかげです。ありがとう。感謝しています。

また、一緒にサッカーをしたことがありましたよね。その時、富久君の技(ボールあげのいろいろ)を教えてもらいました。とても楽しく、貴重な僕のサッカー経験の一つでした。

他にも、一緒に話したりして感じたことは、君は、小6にして、すでに大人の考え方をしていたということです。一緒に話をすることで、精神も大人に近づいたと思います。

君から学んだいろんな事を大切にしながら、これから君の分までしっかりと人生を生きていきたいと思います。天国で僕を見守っていてください。

安らかに眠ってください。

 

富久へ

あまりに突然の事で悲しいを通り越してなんだか呆然としています。

最初に悲報を聞いたのはテレビのニュースを見てでした。ただショックでびっくりしました。

君と会ったのは小学校5年生だったね。四谷大塚で国語の時、ろくに話も聞かず富久たちとしゃべっていたことを思い出します。受験が終わった後、みんなでサッカーしたね。進路は違ったので、あれが君との最後の再会だった。

僕はなんだかまだ現実感がないです。皆が泣いている時も、悲しいのに涙があまり出てこなかった。まだ信じられないよ。

いつも明るくて、お前といて塾が本当に面白かった。塾が楽しくなったのも、そのおかげで今の俺があるのも富久とかのおかげです。本当にありがとう。

 

富久へ

君のお父さんから話をききました。

自分の好きなことに一生懸命になれてうらやましいな。

自分の考えをいつも持っていて本当にかっこよかった。

塾のときから頭はよかったしスポーツもできたし本当にうらやましかった。

俺たちのことを見守っていて下さい。

あと、家族の人たちももう二度とこんなことがないように見守っていてあげて下さい。

 

富久へ

俺にとって、富久は尊敬すべき人No. 1だった。

スポーツができて、生き方が強くて、常に明るくて。

俺にはないものをいっぱい持ってた。

そのハンパな所が全くない生き様を見ならいたい。

ずっと忘れない。

 

富久へ

僕は途中から開特に行って、麻布栄光特だった君とは別れてしまった。しかし、一年半たらずだった四谷での君との思い出は山ほどある。

理科実験講習で石津や河野とともに楽しく実験をした。たしか富久は小川先生から結構目をつけられていたっけ。

板橋先生の国語の列対抗戦では僕たちの列はいつも強かったけど、富久が出した問題で「髪を漢字で」というのがあった。「」って書いて、うちらの列は間違えてしまったのを覚えている。

時には怒られもしたなぁ。寺門先生の時間「教科書に新たに入った人の職業」ってやつで先生は「軍人」(東郷平八郎)っていう答えを待っていたのに、「こじき」と君は言ってしまって先生がキレたっけ。でもその後、授業が長く中断してしまったことに、君は涙を流しながら「僕のために皆の時間がなくなってしまう」と訴えたよね。「大人だなあ」と僕は思った。他には書ききれないことが山ほどある。みな楽しく朗らかな思い出ばっかりだ。

お互い別々の高校に行ってからも僕は時々、鉄緑の麻布の奴(反田や新納)から富久のことを聞いたりした。「ボクシングにはまっている。」っていう答えが帰ってきたな。

でも、まさか、君とこんな形で別れてしまうとは...。本当にかわいそう。志半ばの夢だったのに...。富久みたいに大きな強い夢を持っていない自分が恥ずかしくなる。君から学んだこと、君との思い出、そして君を、僕は一生、忘れない。

 

富久へ

いつでも電話しろよ。

一人じゃさびしいだろ。

ずっと忘れないからな。

お前と話したかったよ。

じゃあな。 3/10(金)

 

Dear 信介へ

初めて顔を見た時から「意志の強そうな人だなぁ」と思ったけど、やっぱりその通りだったんだね。サッカーに、ラグビー、ボクシング、etc. 少し欲張りすぎだよ。そんなに急がなくても、よかったのに。

もっとたくさんやりたいことがあったから、自分の一生をものすごいスピードで駆け抜けたのかもしれない。でも早すぎる。

君みたいに気骨のある男はめったにいない。不運だった。大切な人をまた一人失ってしまった。もうこんな気分はたくさんだ。人の死になんて会いたくない。死んだ人に言うのも変だけど、ガンバレよ。オレもがんばる。

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色紙寄せ書き 

 

別所小学校時代の友人

 

また家に走って来い  

お前はマジで最高だったぜ  

またみんなで遊ぼうぜ  

何やっても本当にすごい男だったな  

また一緒に走ろうぜ  

サッカーまたいつかやろう  

オレは有名人になる  

足の速さは一番だ  

またどかんふみやろー 

今度また、サッカーやろうぜ。オレのパスを取れるのはお前の足だぞ  

また一緒にサッカーやろう  

生まれかわったら一緒に遊ぼう  

もう1回サッカーやりてーなー。やろうぜ  

またサッカーやろう  

またいつかあそぼうぜ  

サッカーやりてーよ  

また一緒にサッカーやろう  

いつか追いついてやる  

ずっと見てた。忘れない。  

ずっと見守っていて下さい。 

一緒にいた時間スゴク楽しかったョ。

走っている姿もっと見てたかった。 

友達って言ってくれたこと忘れない。  

またサッカーやりたいな  

久しぶりー、変わってないな。じゃっ、またな!!  

大人になったら肉食べに行きたかったよ。おごりでな。  

すごい存在感だった。  

またあそびてーな。こんどたのしもーぜ!!  

今度50M一緒に走ってみようぜ。負けねーよ。 

お前はゴツくて強かった。いつか富久を超えてやる。見てろ!!  

三ツ沢のリレーまた走りに行こうぜ。  

お前のような人になりたいと思っています。  

すごかったお前を忘れないよ。また一緒にサッカーしてえな。  

走っている姿すごかった。いつまでも忘れない。  

次走る時は皆で一位をキープして優勝しような!!  

君のシュートはすごかった。  

いままですごく楽しかったです。  

がんばっていきますから。もう一回会いたかったのに。 

すごかった。大きかったヨ。  

すごくってあこがれでした。  

スポーツがすごい、できてたのがすごく、印象深かったです。  

自分もあなたの様なVIPな人になりたい。  

一年という短い間だったけど楽しかったぞ。ともに頑張ろうな。  

お前ぐらい足が速かったらいいなと思った。お前のことはぜってー忘れねー。

ぼくは君のことをずっと忘れない。

さよなら。

この色紙を信介が見るときが来る事を願ってます。ここに書いた人も書けなかった人も来れなかった人もみんな信介のことを忘れないぞ!! 信介との思い出はサッカーばっかだよ。親父さんにこれをもってってもらうから、ちゃんと読めよ!またな。

お前と俺と田栗と角と4人で一緒にサッカーの試験を受けに行ったことあったなあ。せっかく一次試験受かったのに、もったいないことしやがって。それにいつも廊下でフェイントの練習して、本当にサッカー好きだったよな。また一緒にプレーしようぜ。

富久くんはみんなの憧れでした。

富と遊んだこと忘れません。

富はいつもクラスの中心だったネ!!

いつも何するのもすごい人だと思ってた。

富はすごい走るの速かったね。忘れないよ。

富の分も私はがんばります。

富は何でもできると尊敬してたよ。

はやすぎ!! もどってきてあのすごさをみさせて。

この日本を救ってほしかったです。

トミはなんでもできてスゴイ!

スポーツ万能、勉強もいっぱいできて、いつもすごいと思ってた。

富久くんの分まで私はがんばっていきます。

いっぱいケンカしたけど大好きだったぞ。

幼稚園の頃からすごい目立ってた。すごかった。

無念無念無念  

富久くんへ。高校でもがんばっていたのでしょうね。クラスのみんなのこと、覚えてくれていたでしょうか。安らかに眠って下さい。

言葉では言い表せないような大切な思い出がたくさんあります。これからがんばって生きていくからね。

スーパースター

とても悲しいです。

ありがとうございました。

幼稚園の頃ぐらいしか会ったことないけど、ありがとう。

思い出いっぱいありがとう。絶対忘れないよ。

本当にお前との思い出は最高だった。

お菓子いっぱい食べて下さい。

絶対忘れないよ。

サッカーいつもがんばっていたのを覚えています。

特別コースで背が高くて印象的だったよ。

 

 

麻布中学・高校の友人

思い出すと口ゲンカばかりしていたけど、楽しい毎日がお前のおかげで過ごせたと思う。安らかに眠ってくれ。

お前はいつも本当にやりたいことを探してたけど、そっちでは見つかった?

結局ボクシングの試合を見に行くことはなかった。お前の夢をこれから一緒に見て、かなえていこうと思ったのに、東大生ボクサーつう、でかい夢見やがって、ばかやろう。

お前と話したり遊んだりするのは楽しかったし勉強になった。お前が死ぬなんて信じられないけど、これも教訓にする。

お前が楽しそうに話するときって、だいたい気ちがいだとかなんとか、そういうふうに個性があったりするときだったな。お前より個性的な奴なんて見たくもないよ。

お前は飛び抜けている。凡人は知識とか筋肉つけて武装するけど、お前はそれを武器にする。

エロそうでないのにエロい。まじめそうなのに熱けつ。そんなお前が好きだ。死んでも生きてるぞ。

電車にぶつかった後のお前のコメントが聞きてーよ。死ぬなよ、ボケ!

強いキャラのはずなのにかなりエロい君が好きやった。

お前のシュートをスーパーセーブしてやる。

中1の時にサッカー部で出会ってからこの5年間お前には本当に色々なことを学んだ。サッカーに始まり、麻雀、ゲームとか。今思えば本当にいい思い出でした。一生忘れることは出来ません。

かつてお前ほど強い男をオレは見た事がない。サッカー、ラグビー、ボクシング、みんなお前は強かった。教師に対する口答えも、お前が一番強かった。そして何よりも、「富久信介」は麻布のギャンブラーキングだった。麻雀、ポーカー、ブラックジャック、お前は何でも最強だった。お前の事は忘れない。

まだお前はどこかにいて、忘れた頃に出てきて、下らない冗談を言い合うと思う。お前のプレーに洗練さなんて全然なかったけど、勇気づけられたし、助けられた。引退までの二週間をもう一回繰り返してみたい。一緒に生活してたような気がまだしている。

オレのパスで君が点を取った支部大会の時の事は記憶の薄い中学のサッカー部の事での一番の思い出。

小学校の時から話してて、たくさんの思い出、絶対忘れません。

富と最初に組んだ2トップ、忘れない。富のゴール何点もアシストしたぞ。忘れんな。

もっとたくさん2トップ組みたかった。お前をアシストしたことも、お前にしてもらったことも、いろんな思い出、絶対忘れない。

お前のシュートのおかげで何度も突き指したもんだ。本当にお前と気が合っていた。お前の力強さは絶対忘れない。

ウチのチームでも、まだ一試合しかやってないし、全然話したりない。一生忘れない。

もう一回お前と騎馬戦したいよ。一年すごい楽しかったな。一生忘れないから。

久しぶり。今までいろいろな思い出をありがとう。富のことは絶対忘れないからね。

いつも君の運動をする姿を見て、自分もあんなふうになれたらいいなと思っていました。

とても残念だけど、今までサッカーやったりして、いい思い出です。

お前との思い出ありすぎて、うまく書けねえ。部活で俺が悩んでいた時、不器用でもお前なりにはげましてくれた。嬉しかった。一生忘れねえ。

富久、N、K、O、そしてY。おっとMも。いつもこの6人で笑ったものだ。いつもトミとMの争いで楽しかった。また笑わせてくれな!またな! 

高2の一年間はお前がいたからすごく楽しかった。ラグビー部、応援団、お前がいてくれて、お前と出会えて良かった。絶対忘れないからな。

これからって時に残念です。今までいろいろありがとう。

お前のことは一生覚えてる。安らかに眠れ。

お前と仲良くなって、よく泊めてもらったな。ありがとう。ずっと忘れないぞ。

いつまでもオレの心の中では生きつづけてくれ。

微かな距離だった分、実感できなかったり、逆にリアルだったりするけど、絶対忘れない。またいつかサッカーしような。

まだ一年足らずだったけど、たくさんの思い出、ありがとう。

富久と食べたラーメン、また一緒に行きたかった。

あとは俺らにまかせろ。

富久と交わしたラーメントークは一生忘れません。

応援団の時、みんなでボウズにして楽しかったね。僕の中で富久は生きつづけます。

今まで会った同じ年の人では一番強かった。

中学サッカーの楽しい思い出は一生忘れません。とみと一緒にプレー出来て本当に良かった。

一緒にいて楽しかったよ。じゃあね。

とみと一緒にサッカーしてた日を絶対に忘れないよ。

とみとサッカーやってたことをずっと忘れない。

本当に富久とサッカーしたのとか旅行したりしたのとか楽しかったよ。ずっと忘れないよ。

富が一番オレのサッカーをわかってくれてた。富といった旅行とか一緒にサッカーしたこと忘れません。

トミの助言通り残り1年をサッカー続けるように決めたら得るものがありました。ありがとう。

とても残念です。たくさんの思い出、二度と忘れません。僕にとって大きな存在でした。

今までありがとう。

たくさんの思い出ありがとう。

天国があるなら、そこで幸せになって下さい。

応援団、6組が一番サイコーでした。

サッカー一緒にやれてよかったです。

ずっと忘れないし、これからも尊敬しつづけます。

早すぎました。ありがとう、さようなら。

いつもまじめで尊敬してました。

ひたむきな頑張りには感動しました。

一緒にサッカーして楽しかったです。これからがんばって生きていきます。ありがとうございました。

一生忘れません。

サッカーがんばります。

サッカーがんばります。一緒にプレーしたこと忘れません。

富久さんのことは忘れません。

これからもサッカー頑張っていきます。

サッカー楽しかったです。麻布を強くしていきます。

何でも一生懸命にする所を尊敬していました。

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ラグビーボールの寄せ書き ”7番最強のフランカー” 

麻布高校ラグビー部

試合の時、誰よりも勝つという思いがあって、とても頼りにしていた。一生、お前を絶対忘れない。

今までずっと一緒にいて楽しかった。 

ラグビー部に入ってから一年間しかなかったけど、お前の一番居心地が良かったところだと思う。  

お前の「お前らしさ」がある性格がうらやましかった。これからも、お前らしくいて下さい。  

本当に尊敬できる人でした。  

俊足で常に麻布の要であった富久さんに負けないフランカーになることを誓います。

今でも部室に行くと富久さんがいる気がします。さみしいです。  

誰よりも速くフィールドを駆け抜けるあなたの勇姿を僕は絶対忘れません。 

本当にお世話になりました。

常に努力することを教えてくれてありがとうございます。

短い間でしたが、ありがとうございます。強さを一生忘れません。 

お前はまたどうせ忘れた頃にひょっこり現れて、オレを「気違い」扱いするだろうとまだ信じてる。オレを泣かせたお前だけど、またいつか下らない冗談を言い合うと思う。 

高2のラグビー部ではじめてお前と会って一年。ここまで仲良くなれてほんとにうれしい。お前と出会えて良かった。いつまでも絶対忘れないからな。 

おれはお前と一緒にラグビーができて良かった。話しができて良かった。短い間の付き合いだったが、お前には本当にいろいろ教えてもらった。絶対にお前のこと忘れない。 

期間は短かったのに試合でトライをよく取ってて、ガッツに驚かされました。むつみ屋のラーメンおごってくれてありがとうございました。  

一緒に練習した時のこと絶対忘れません。ファイトをありがとう。  

東高校戦でもらったパスが忘れられません。一緒に練習できて楽しかったです。  

___戦での一勝がとてもうれしかったです。先輩の活躍がよかったです。もう一緒にラグビーできないのが残念です。  

短い間でしたが、一緒にラグビーが楽しくできてよかったです。  

先輩と深く知り合え、いろいろな事があったあの夏合宿は一生忘れません。  

短い間だったかもしれないけど、一緒にプレーした日々は忘れません。僕のプレーを見守って下さい。

一年間共にラグビーができたことは僕にとって大切な宝物となった。

同じ脱骨持ちということもあり、いろいろアドバイスをしてくれたり、どやされたり、時には誉められたりした思い出は忘れません。一緒にいてとても楽しかったです。

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サッカーボール寄せ書き ”NO.9”

麻布高校サッカー部

ずっと直球勝負のトミに憧れていました。どうもありがとう。  

下手くそだったオレに親切に色々と教えてくれてありがとう。またいつか会おう。

トミの一言一言が胸にひびく。同じフィールドでプレーしたり、同じクラスで一緒に笑った。みんなの心の中でトミはいつまでも生きつづけている。 

つまんねー死に方すんじゃねえよ!  

もっとサッカー一緒にしたかった。お前との思い出は忘れません。ゼッタイ。  

鈴ヶ森戦の同点ゴールとPK負けした後のトミの涙は忘れられません。紅白戦ではいつもDFの僕はFWのトミを抑えられませんでした。たくさんの思い出をありがとう。

お前と2トップが組めてよかった。オレをレギュラーに推してくれてありがとう。 

中学の時に一緒にサッカーやれて楽しかったし、高1の時は運動会一緒に頑張ったよな。スポーツに真剣に取り組むトミを尊敬してるし、絶対忘れないよ。ありがとう。 

早すぎました。ありがとう、そして、さようなら。  

サッカーの時もっとしゃべれば良かったなあと今さら思う。  

一緒の2トップ忘れんなよ。オレも一生忘れない。最高の相方だった。点を取るのはトミ、それをアシストするのはオレ。絶対忘れない。 11. 

オマエのシュートはあたれば最強だった。またいつかオレにシュートを打ってくれ。 

中1の時から中庭でサッカーしたりしたよな。部活でもオレは富久を尊敬してたよ。旅行もおもしろかった。富久、男らしくてさ、本当にありがとう。  

お前の小学校の頃の夢はきっとこの中の誰かがかなえてくれる。

練習の後、一緒に帰って楽しかったです。

もう一度マンツーでディフェンスにつきたかった。悲しくてたまらないけど、一生尊敬しつづけます。

先輩と組んでFWやったこと忘れません。麻布一のFWになりたいと思います。ありがとうございました。

トミはいつもオレに森田うまいよって言ってくれた。これからもその言葉を自信にしてサッカーがんばるよ。

一緒に試合でプレーしたことはそんなになかったけど、今でもトミのゴールで追いついたリベルダ戦のことが忘れられない。  

ガッツあるプレーは一生忘れない。  

お前の分まで皆が生きるから。  

たくさんの楽しい思い出をありがとう。一生忘れない。 

中学の大会ではトミに頼ってばかりだったね。今度また一緒にサッカーしようね。今までありがとう。  

中学の大会であのメンバーで試合したことを絶対忘れない。オレの下手なセンタリングもトミは決めてくれた。本当に楽しかった。

お前とサッカーしてて、シュート練なんか特におもしろかった。もう一度あの激しいシュートを受けたかった。お前のことは忘れない。安らかに眠って下さい。 

サッカー部で最初見た時すげー奴だと思った。足の太い奴で、いつも一緒にいて頼りになった。これからも頼りにしようと思ったのに勝手に死ぬんじゃねーよ。

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謝辞

十七才八ヶ月という短い生涯をこの八日に終えることを余儀なくされた信介の無念さを思うと断腸の念に堪えません。その僅かな時間の中ではありますが、信介は皆様から戴いたご友情とご厚情に心より感謝していると信じております。本日、皆様より戴いたお別れのお心とお言葉は、信介の心に届いたことと存じます。私共も、そのお心とお言葉を糧に信介をしっかり抱いて生きてゆく所存です。本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

平成十二年三月                  父 富久 邦彦
                         母    節子

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