再 会 1

 

信介と一緒に四谷大塚を卒業した仲間の同窓会が昨年(2006年)に行われ、多くの方が信介にメッセージを書いてくれ、信介に会いに来てくれました。ピアニストとして活躍しているその仲間の女性にはコンサートで収録された曲の入った、富久信介へと書かれたCDを戴き、信介にも聞かせました。ありがとうございます。

みんな実に逞しく成長され、輝いておりました。信介のことを忘れずにいてくれて、感謝の言葉もありません。何度読み返しても、温かい心情に涙を禁じ得ません。信介の生き様がほんの少しでも皆様の生き方にいい影響があれば、光栄です。信介も喜んでいると思います。

富久邦彦

 

富久へ

事故直後の挨拶からもうだいぶ年月が経ってしまったね。ご無沙汰してしまって申し訳ないです。
先日、四谷の仲間で久しぶりの大きな同窓会があった。十二年ぶりって人も多かったけれども、皆の変わったところも、変わってないところも、驚きの連続でした。
あの事故のときは進路選択直後だったね。今は皆、ちょうど社会に出た直後、出る直前って時期だけど、それぞれが自分らしく進んでいて、四谷のメンバーってやっぱりすごいなと感じました。そして、小学生のときから一番「自分らしく」を持っていて、貫いていた富久がいたらどうなっていたんだろう? 富久と何でこうやって集まってお酒を飲んだりできないんだ...って、皆が思っていたと思います。
先日、読売新聞の「編集手帳」に富久のことが触れられていました。社会があの事故と富久とを忘れない限り、そして富久が自分たちの中で命の大切さと自分らしく生きることの意味と勇気を教えてくれる限り、富久は生きているんだって、思いました。
今日は、久しぶりに会えて、うれしいです。また会うときには、自分も「オレはこれをやっているぞ」「これには自信がある!」みたいなものを持って、会いに行けるよう、がんばります! またね!!



富久

久しぶり、元気? 俺は、まあ、元気でやっているよ。
人生、うまく行かない事もたくさんあるけど、富久から教わった最後まであきらめないで頑張る気持ちを持って、一つ一つなんとか乗り越えてきてるよ! これからもたくさん困難はあると思うけど、逆にそれを楽しんで、一つ一つ頑張って乗り越えて、精一杯生きて行くよ! じゃあ、またね!



富久へ

毎年3月8日が来ると君のことを思い出します。君と過ごした四谷生活は本当に楽しくて輝いていたね。大人っぽくて、いつも守られていたような安心感があった。今年で24才になるね。少しは僕も大人になれた気がするよ。君に「しっかりしろ」と言われないように、君の分も精一杯生きるから、天国から見守っててくれよ!



富久へ

あれから、もう7年も経つんだね。
事故を伝えるニュースが、何か聞き覚えのある名前を言ったような気がした。そして映し出された君の写真。昔の面影のままの顔立ち。四谷大塚を卒業して5年、まさかあんな形で再会するとは思わなかったよ。話をした事はそんなに多くはなかったかな。運動ができなかった僕は、運動万能で、小学生なのにがっちりした体をした君を羨ましく思っていたような気がする。小学校の壁を蹴ったら穴があいたなんて話をしてたよね。壁が弱いからいけないんだと言い訳してたけど、どんな力してんだって、びびったよ。最期を見送ってやれなくて、ごめんな。いろんな事を忙しく頑張っていたという君を、部活もやらずにいた自分と比べて、気後れしてしまった。本当にごめん。今こうして手紙を書いて、少しだけ胸のつかえが取れたような気がする。ありがとうな。
君は将来、何になりたかったのかな。いつか、どこかでまた会えた時、胸を張っていられるように、僕も頑張るよ。それじゃ、またな。



富久君

お久しぶりです。
四谷大塚の講義後、いつもIやA達と一緒に帰っていたKです。
最後に話したのは、富久君が栄光学園の文化祭に遊びに来てくれた中学2年(たぶん)の時になるかな。その時はあまり話せなかったし、小学6年の時の塾では、ほぼ毎日顔を合わせて、皆で帰っていたから、僕の中での富久君のイメージは小学6年の時のイメージなんだよね。
当時の富久君のイメージを思い出してみると、まず体が大きく、足が速かったこと。(塾行ってたはずなのに、運動神経の話だなんて...って感じだけど、1回、新横浜の地下通路で徒競走したことを鮮明に覚えています。)次は面白かったこと。(毎週月曜はジャンプを持って現れ、また別の日は本屋のマンガコーナーで遭遇すること数知れず...(笑))そして、もちろん、頭がとても良かったこと。
当時も「富久、すげえなあ」って思っていたけれど、今から考えてみても、すごい奴だったんだな。四谷大塚の後、中学高校で何人か「何やっても勝てない」と思わされる人間に会ってきたけど、今手紙を書いていて気付いたのは、君は僕が初めて会った「何をやっても勝てない」人間であったのかもしれないね。
中学入学以降はお互いに違った人生を歩んできた訳だから、富久君の話を昔話と共に聞きたいけれど、聞けないのが残念です。
また、あの事故については、富久君やご家族の方の想いを想像すると、心がグシャグシャになって、何を言っていいかわからない、言葉にならない想いが私の中にあります。
富久、一つ僕は約束する。
誰にも負けない何かを僕は身に付けるよ。恥ずかしい話、まだ、それが何かはわかってないけれども。でも、それを見つけて、世界中の人や社会を幸せにするよ。そして、その分野では絶対、富久にも負けないから。だから、富久も天国から見守って、僕を少しだけ応援してくれよ。
最後に、君と短い間だったけれども、同じ時間を共有できて、ありがとう。



富久へ

あれから年月が流れ、自分は医学部を卒業しようとしています。
君の死は、高校2年生だった自分には、実感のわかないものでした。その後の報道や推移を見てて、初めて涙したのを覚えています。
四谷っ子の中で、強烈な個性と行動力を発揮していた富久は、自分にとって憧れでした。
その姿勢を何度も真似してたのは、今だからこそ書ける話です。
ご家族には、こう書くと酷かもしれないけど、「富久信介は立派に今も生きています」
四谷っ子は誰も忘れていないし、これからも忘れ去られることはないでしょう。僕たちの心の中にある限り、一緒に歩ける。これからもよろしくね!!
そして、一つ一つ書きあげると大変なことになるけど、ありがとう!



富久くんへ

(今日は久しぶりに富久家に伺います)
富久くんにきちんとメッセージをおくるのは、随分と久しぶりです。
でも、富久くんの存在は、いつも(今でも)大切なことや大事な思い出を思いださせてくれています。(時々、富久くんの本やHPを読み返すと、勇気や元気がわくのです。)
私は今年、社会人になりました。慌ただしく日々を過ごしながらも、毎日を大切にしたいと思っています。
胸を張って、富久くんに報告できるような仕事っぷりを目指し、精進しますね。



富久へ

四谷大塚で一緒だったAです。
富久は私のことを覚えてないかもしれないけど、私はよく覚えているよ。背が高くて、落ち着いていて、勉強もできて、特に国語の列対抗戦では目立ってた。多分、他のみんなもそう思っているはず。
私は慶應中等部に入学して、それからずっと慶應で学び、今は理工の院で研究してる。4月には就職する予定。
あの日、事故を知った時の衝撃は今でも忘れられない。帰宅してから新聞を読み、そこに載っていた名前を見て「え!?」と。まさかと思って何度も読み返したって、麻布に通う横浜在住の17才の富久君が何人もいるはずがない。顔写真も当時の面影が残っていて間違いなく私の知っている彼だ、と確信せざるを得なかった。家にいていち早く事故のことを知った母も「この名前知ってる」と思ったと言っていた。私は家で、学校や塾のこと何でも話す子だったから、富久の話も出ていたんだと思う。何を話していたかは覚えてないけど...。あ、でも、変な話はしてないと思うから安心して。「今日も富久君の列に勝てなかった」とかそういう話だと思うので。
この間、男女合同の同窓会があったよ。中学受験以来久しぶりに会ったら、みんなちゃんと自分の道を見つけて頑張ってた。10年以上の月日の流れは感じたけど、話してみると根っこの部分は変わっていなくて嬉しかった。私にとって四谷での日々は学校よりも充実していて、自我を形成していく時期にあそこで過ごせたことが、今の自分に大きな影響を及ぼしているのは間違いない。そしてその、私が宝物のように思っている時間の中に、富久はしっかり存在しているよ。
事故のことがテレビで流れるたび、新聞に載るたび、涙が止まらなかった。いつも何気なく乗っている電車が恐くてたまらなかった。志半ばで全てを絶たれた無念は私には想像もつかない。でも、短い期間ではあったけれど、共に学んだ仲間として、せめて富久には恥ずかしくない、自分らしい人生を歩みたいと思っている。
まとまりのない文章になってしまったけど、私の素直な気持ちです。いつか向こうでも同窓会を開きましょう!
P.S,  Iに聞いたけど、本当は「慶應でいいや」って言ってたんだって? 失礼な話ね!(笑)



富久信介くんへ

富久くんにこうして、また手紙を書くことができるとは、今まで考えていなかったよ。前に手紙を書いてから、もう7年。時の流れの速さを痛感しています。
四谷大塚を卒業して5年、久々の再会として喜ぶどころか、それは全く逆のことでした。そして、それから7年目にして、四谷のみんなはまたこうして集まることができているよ。泣いてばかりもいられないから、今度は前向きな気持ちでね。私達が出会った12才から見て、もう倍も時間がたったんだよ。私は、あれから、生きることに対して誠実に、精一杯やろうと決意して生きてきたよ。夢があることは幸せで、それに向かって走れる環境にあることはもっと幸せなんだと強く感じたよ。
富久くんに、沢山のことを教えてもらいました。
感謝して、誠実に、一生懸命、生きてゆくよ。
私はまだまだこれからの未熟者だけど、見ててね!
絶対に心の大きな素敵な女性になるから。そしたらまた報告させて下さいね。