大橋スポーツジム


会長 元WBA・WBC世界ミニマム級王者・大橋秀行

〒221-0052 横浜市神奈川区栄町2-1 キコー横浜ビル1F
TEL 045-451-1994 FAX 045-451-0737
JR横浜駅東口徒歩8分、京浜急行・神奈川駅徒歩1分
http://www.ohashi-gym.com/

川嶋勝重

川嶋勝重
1997年2月プロデビュー。右ストレートが強い右ファイター。戦績は31戦28勝(18KO)3敗。1974年(昭和49年)10月6日生、千葉県市原市出身。昨年8月、元世界王者のヨックタイ・シスオー(タイ)に判定勝ちし世界ランク入り。2002年4月、日本スーパーフライ級王者。2002年7月、初防衛に成功。2002年12月、日本王座返上。2004年6月28日WBC世界王者徳山昌守選手を1ラウンド1分47秒、TKOで倒し、新チャンピオンとなる。

祝! 世界戦2度目の防衛
防衛戦を信介の遺影と共に応援してきました。トランクスの「S.T」もはっきり目に焼き付けてきました。川嶋さん、また信介を世界戦のリングに上げていただいてありがとうございます。V2、おめでとうございます。
●サンケイスポーツ 2005年1月4日

川嶋勝重、血染めのV2!

★最強挑戦者ナバーロと凄絶打ち合い


 世界中で今年最も早く行われたW世界タイトルマッチは、WBC世界Sフライ級王者・川嶋勝重(30)が、無敗の最強挑戦者ホセ・ナバーロ(29)に2−1の判定勝ち。同級1位との難関の指名試合を辛くも突破、2度目の防衛に成功した。これで、5月にも世界戦での対決で1勝1敗の前王者・徳山昌守(30)=金沢=とのラバーマッチ(3度目の決着戦)に突き進む。WBA世界フライ級王座に挑んだ挑戦者・トラッシュ中沼(29)は、王者ロレンソ・パーラ(26)にテクニックと手数で圧倒され、0−3の判定負け。引退を口にした。〔写真:勝ちは、勝ち。王者・川嶋(右)が、最強挑戦者に2−1の微妙な判定勝ち。これで前王者・徳山と決着戦だ=撮影・荒木孝雄〕

★挑戦者満点のジャッジも微妙判定2−1
 あきらめたら、すべてを失う。当たらなくてもいい。一発受けたら、すぐさま2発打ち返す。終盤、両目上をザックリとカット。鮮血を滴らせながら、それでも川嶋は前に出る。右フックをふるい、スタミナを使い切った。微差のポイントの奪い合い。最終回、もし、ジャッジの1人が挑戦者にポイントを与えていたら―川嶋の腰にベルトは戻ってこなかった…。
 こんな相手だからこそ、負けられなかった。負けたくなかった。無敗挑戦者は5歳でリングに上がり、シドニー五輪米代表となった元トップアマチュア。社会人生活に生きがいを見いだせず、20歳で初めてグローブをつけ、1度目の世界挑戦に失敗。3つの黒星を喫しながら、やっと世界の頂点にたどりついた川嶋とはまさに対照的だった。「けんかだと思って死ぬ気でやった。僅差でも勝てたことがうれしい」。防衛がなければ、さきはない。大粒の涙をこぼしながら、いっきにまくしたてた。“雑草”は苦手のサウスポーに打たれても、叩かれても、たくましく拳を振った。

 天性の感覚ではアマエリートには勝てない。挑戦者の分析と、積み重ねた練習が、心の支えだった。元WBA、WBC世界ミニマム級王者・大橋秀行会長(39)は「ナバーロは下がると、強いパンチが打てなくなる。(プレッシャーをかけた)9回からが勝負とみていた」と落ち着いていた。

 自分のためだけではない。宿敵への思いも込めて、闘った。この試合をクリアすれば、5月にも計画される前王者・徳山昌守(金沢)との3度目の激突を、どうしても実現させたかったのだ。昨年6月、再戦となった徳山に、国内世界戦史上最短の1回107秒TKO勝ち、王座を奪取。一昨年6月の世界初挑戦では、その徳山に判定負けを喫している。1勝1敗。だが、2度のチャンスをくれたのは、徳山だった。

 宿敵への恩返し。これまで、同一相手と3度以上対戦した日本勢ボクサーはのべ8人いるが、日本のジムに所属する2人が3度も対戦した例はない。今度は、川嶋が国内リングを熱くする番だ。昨年6月には、この日もリングサイドで声をからした妻・環(たまき)さん(35)と入籍。タイミングがあえば、徳山戦までに華燭の典をあげるプランもある。妻のためにも「世界王者」の肩書を失うわけにはいかなかった。

 流した涙がやっと乾いた。「徳山さん、決着をつけましょう」。王者の声が弾んだ。

(丸山汎)

★川嶋勝重(かわしま・かつしげ)
------------------------------------------------------------------------
 1974(昭和49)年10月6日、千葉・市原市生まれ、30歳。私立長南高(現・茂原北陵高)では野球部に所属。卒業後、2年半の社会人生活を経て、20歳で大橋ジムに入門、ボクシングを始める。97年2月プロデビュー。00年12月、東洋太平洋バンタム級王座に挑戦も、失敗。02年4月、日本Sフライ級王座獲得。03年6月、世界初挑戦でWBC世界同級王座・徳山昌守(金沢)に判定負け。昨年6月の再戦では、1回1分47秒のTKO勝ちで王座獲得。妻・環(たまき)さん。31戦28勝(18KO)3敗。1メートル64・5、右ファイター。


 ◆原田政彦・日本プロボクシング協会会長 「ナイスファイトだった。川嶋は下がったらいけないので、攻めて攻めて出た。ああいうファイトをしないといけない」

■川 嶋■ 採点表 ■ナバーロ■
矢尾板 ペレス スリチャロン ブードー ブードー スリチャロン ペレス 矢尾板
9 − 9 9 (1) − − 9 −
9 9 9 9 (2) − − − −
9 9 9 9 (3) − − − −
− − − 9 (4) − 9 9 9
− − 9 9 (5) − − − −
9 9 − 9 (6) − 9 − −
− 9 − − (7) − 9 − −
9 − − 9 (8) − 9 9 −
− − − 9 (9) − 9 9 9
− − − 9 (10) − 9 9 9
9 9 9 9 (11) − − − −
− − − 9 (12) − 9 9 9
114 115 115 109 計 120 113 114 116
【注】−は10点。グリーン・レフェリー(英国)は採点せず。ジャッジの国名はペレス(メキシコ)、スリチャロン(タイ)、ブードー(カナダ) 

★挑戦者ナバーロ「ベルト持って帰れず残念」

 頭を抱えながら引き揚げた挑戦者ナバーロ。中盤に右こぶしを痛めてからも果敢に攻めて 「ベルトを持って帰ることができず残念だ。勝った試合を奪われたという気持ちに変わりはない。でも、判定の結果は(川嶋には)関係ないことだ」

★徳山TV観戦

 リベンジのときがやってきた。家族旅行先の新潟で川嶋の防衛戦をテレビ観戦した前王者の徳山は、5月の再挑戦に向け、気合を入れ直した。「そんなに川嶋君がやってほしいって言うんだったら、やってあげますよ。男としてこのまま終われない」。王座陥落直後は引退も考えたが、「倒れても倒れても、立ち上がることこそ最大の名誉」と再起を宣言。昨年11月から始動し、元日からは禁酒も始めた。8度防衛の長期政権を築きながら、再起した元チャンプは文字通り完全決着をつける。

★川島Vs徳山

 ▼第1戦(03年6月、横浜アリーナ。〇王者・徳山−●挑戦者・川嶋) 試合前からオーバーワークでの腰痛に苦しむ川嶋に、徳山が得意な左ジャブを効果的にヒット。距離をキープした。川嶋も序盤から積極的に攻撃を仕掛けるが、単発で距離を詰められない。5回に徳山が左拳を負傷するが、有効打を受けないまま、最大4ポイント差の3−0の判定勝ちでV7に成功

 ▼第2戦(04年6月、横浜アリーナ。〇挑戦者・川嶋−●王者・徳山) 前戦から丸1年をへての再戦。減量に苦しむ徳山は試合開始から反応が鈍い。1分過ぎ、徳山の左ジャブへ、川嶋がクロスで合わせた強烈な右ロングフックがヒット。徳山は前のめりにダウン。ダメージが深く、川嶋の追撃の連打で2度目のダウン。1分47秒、レフェリーが試合を止め、V9ならず。1回107秒でのKO劇は、国内で行われた世界戦で史上最短

●スポーツ報知 2005年1月4日

川嶋V2も中沼は判定負け


 ボクシングのダブル世界タイトルマッチ各12回戦は3日、東京・有明コロシアムで行われ、WBC世界スーパーフライ級王者の川嶋勝重(大橋)が挑戦者のホセ・ナバーロ(米国)を2―1の判定で退け、2度目の防衛に成功した。川嶋は序盤から激しい打ち合いを展開。ナバーロの攻撃をよくしのぎ、粘り強く攻めた。川嶋の戦績は31戦28勝(18KO)3敗。

 WBA世界フライ級の挑戦者、トラッシュ中沼(国際)はチャンピオンのロレンソ・パーラ(ベネズエラ)に0―3の判定で敗れた。パーラは3度目の防衛に成功。2度目の世界挑戦に失敗した中沼は試合後、現役引退の意向を表明した。中沼の戦績は31戦25勝(11KO)6敗。

 日本のジムに所属する世界王者は、WBAミニマム級新井田豊(横浜光)と川嶋の2人。

 川嶋勝重「苦しい試合だった。ジャッジの見方でどう取られるか分からなかったので(判定を待つ間は)祈るだけだった。勝てたことが素直にうれしい」

 ◆川嶋 勝重(かわしま・かつしげ)97年2月プロデビュー。02年4月に日本スーパーフライ級王座を獲得し、1度防衛。昨年6月に2度目の世界挑戦で徳山昌守(金沢)を1回TKOで破りWBC同級王座を奪取した。左ボディーブロー、右ストレートが得意な右ファイター。戦績は31戦28勝(18KO)3敗。30歳。千葉県市原市出身。

 ナバーロ「良い試合ができた。自分自身を誇りに思う。判定(という結果)は、これもボクシング。仕方がない。川嶋はいいファイターだが、自分の方が上だと思っている」

 パーラ「とても気分がいい。タイトルを守ってベネズエラに帰れるのだから。減量も順調だったし、コンディションが良かったので、良い試合が見せられた」

 中沼「倒すしかない、一発さえ当たればと思っていたが、それが当たらなかった。(2回)世界戦をやってすっきりした。またやりたくなるかもしれないが、今の時点では引退するつもりだ」

 ◆ロレンソ・パーラ(ベネズエラ)アマチュアで278戦268勝10敗の戦績を残し、99年3月プロデビュー。03年12月にエリク・モレル(米国)を判定で破り、WBAフライ級王座を獲得した。フットワークが速く、左右の強打が武器の右ボクサーファイター。戦績は25戦全勝(17KO)。26歳。アラグア州出身。

●スポーツニッポン 2005年1月4日

川嶋 血と汗と涙のケンカで防衛



判定勝利で防衛が決まり、大橋会長と抱き合って喜ぶ川嶋。その顔は血と汗と涙で染まっていた(共同)


 川嶋が涙の防衛に成功した。ボクシングのダブル世界タイトルマッチ各12回戦が3日、東京・有明コロシアムで行われ、WBCスーパーフライ級王者の川嶋勝重(大橋)が同級1位ホセ・ナバーロ(米国)との指名試合に臨み、2―1の判定で2度目の防衛に成功。シドニー五輪ベスト8のテクニシャンをケンカ殺法で押し切り、5月には前WBC世界スーパーフライ級王者の徳山昌守(30)との再戦が実現する運びとなった。

 命がけのケンカだった。勝敗を左右する終盤。血まみれの川嶋がリング中央で足を止め、ナバーロと壮絶な打ち合いを繰り広げた。パンチを受けて顔は何度もゆがんだがひるまない。左右のフックに全身の力を込めて振り回した。
 「苦しい試合だったけど、終盤に勝負にいかないと勝ちはないと思った」と川嶋。プレッシャーをかけると、手打ちになる挑戦者。そのクセを見抜くとダメージは覚悟の上で、野獣のように襲いかかった。
 技術優先のジャッジ1人は、ナバーロにフルマークをつけた。しかし世界を制するために必要なものは、勇気あふれる攻めの姿勢。2回に相手の右をもらって左目上に裂傷を負い、6回に右目からも出血しながら敢然と打ち合いに応じた姿こそ、勝者にふさわしいものだった。
 死闘から解放されるとリング上で「すみません。また泣いちゃいました」と涙がポロリ。「あけましておめでとうございます。今年は最高の年にしましょう」とファンに語りかけると、やっといつもの実直な人柄に戻った。
 才能に恵まれているわけではない。20歳の時に脱サラ。経験はなくボクシングの基礎から始めた。そして、普通の選手なら峠を越えた29歳で世界王座を手に入れた。現役時代、150年に1人の天才といわれた大橋会長(元ミニマム級世界王者)は「150年に1人の努力の天才」と絶賛。こつこつと力を蓄えたボクシング人生は今、絶頂期を迎えた。
 試合後は3度目の防衛戦の相手で、タイトルを奪った前王者の徳山に「決着をつけましょう。1勝1敗同士ですから」とマイクでアピール。2日遅れの正月を迎えた血まみれの川嶋に、再び闘志がみなぎった。

●日刊スポーツ 2005年1月4日

川嶋2−1判定、流血のV2/ボクシング


<プロボクシング:WBC世界スーパーフライ級選手権12回戦>◇3日◇東京・有明コロシアム◇8000人

 WBC世界スーパーフライ級王者の川嶋勝重(30=大橋)が、血と涙のV2を達成した。同級1位ホセ・ナバーロ(23=米国)との指名試合。左ストレートなど的確なパンチを浴びて両目上をカットしたが、左フックの連打と自慢の右で反撃し、激しい打ち合いに持ち込んだ。10回以降はケンカファイトで戦い抜き、2−1の判定勝利にうれし涙を流した。これで5月に前王者徳山昌守(30=金沢)との再戦が濃厚となった。

 終了ゴングの直後、川嶋は大橋会長に抱きつかれた。壮絶な打ち合いを象徴する血だらけの顔。カットした両目上から流血した王者は祈った。2−1の判定勝利を聞くと思わず泣き崩れた。「苦しい試合でしたが、みなさんが信じてくれて、きん差で(王座を)守ることができた。あけましておめでとうございます!」。世界王者として初めて正月を迎えた実感をかみしめた。

 打ち合いに誘った。2回に左目上、中盤には右目上も切った。視界は狭くなった。ヒットしていた左フックを何度も空振りした。10回開始前には大橋会長、松本トレーナーに「下がるな。ケンカだ!」とゲキを飛ばされた。表情が戦闘モードに変わる。「来い!」と叫び、ナバーロを挑発。自らを鼓舞した。カウンターの左フックを連発。ボディーには右の強打。「死ぬ気でやった」。ケンカファイトでナバーロの技術を抑え切った。

 ロング調整で最強の挑戦者を倒した。昨年6月に徳山を破って世界王座に就いて以来、ナバーロ戦だけを見据えてきた。同9月のフアレス(メキシコ)との初防衛戦の調整は度外視。夏には肉体が悲鳴を上げるほど猛練習を続けた。徹底的なスタミナ強化を図った。V1戦は急激な筋力アップで減量にも苦しんだが、ナバーロ戦に照準を絞った影響だった。すべてはV2戦のための勲章。大橋会長は「過去最高のコンディションだったからナバーロに勝てた」とホッとした表情をみせた。

 再びベルトを巻いた川嶋は心に決めていた言葉を絶叫した。「去年は震災や津波とか多くてつらい年だった。今年はみんなで最高の年にしましょう!」。新潟県中越地震など、世界王者として天災に苦しむ人々を勇気づけたかった。すぐに防衛戦も待っている。今年5月に徳山との3度目の対戦が濃厚だ。一昨年は判定負け、昨年は右の強打で1回TKO勝ちと過去1勝1敗。「前回がラッキーパンチだと言われるのも嫌なので、決着をつけたい」。血と涙でベルトを死守した川嶋が、05年も世界王者の誇りを胸に突き進む。【藤中栄二】

[2005/1/4/09:22 紙面から]



写真=8回、川嶋勝重(右)は右アッパーをナバーロにヒットさせる(撮影・中島郁夫)

●毎日新聞 2005年1月3日

川嶋、判定で防衛 世界Sフライ級

 世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級のタイトルマッチ12回戦が3日、東京・有明コロシアムであり、王者、川嶋勝重(30)=大橋=は、世界初挑戦の同級1位、ホセ・ナバーロ(23)=米国=を判定で降し、2度目の防衛に成功した。
 ▽川嶋勝重 苦しい試合だったが、いろんな人に支えられてチャンピオンを守れた。だが「最高(の状態)」と言いながら情けない試合をしてしまった。(次戦は)徳山と決着をつけたい。
 ◇決定打でず
 川嶋がわずかの差でナバーロを降した。序盤は足を止めて激しく打ち合う場面もあったが、ナバーロが五回から、川嶋との距離を取り始めた。川嶋は手数では劣ったものの、時折、左右の大きなフックをクリーンヒットさせ、ポイントを稼いだ。ナバーロは細かいパンチを的確に当て、打たれ強さも見せたが、最後まで決定打が出なかった。
 ◇学習能力の高さ証明
 得意の土俵である打ち合いで、負けるわけにはいかなかった。アマチュアで00年シドニー五輪ベスト8の実績を持つ技巧派のボクサー型という触れ込みを捨て、一回から打ち合いを挑んできたナバーロ。エリート挑戦者の多彩なパンチに川嶋は劣勢に立たされたが、中盤以降は驚異的な追い上げを見せた。
 序盤、右サイドに巧みに回り込みながら連打を繰り出す挑戦者に、川嶋は不利な体勢から反撃を強いられた。左右のフックは相手のガードの上からで、有効打は挑戦者が上回っていた。だが、六回からは川嶋が強引に前に出てパンチを振るった。空振りも多かったが、「ナバーロは下がるとパンチに威力がなくなる」(川嶋陣営の大橋秀行会長)という読みだ。それまでフック主体の攻撃だったが、右のショートストレート、さらに相手のお株を奪うアッパーも織り交ぜた。九回からは「神風アタック」と名付けたラッシュで相手を押し込んだ。
 00年6月以来14試合ぶりの対戦となるサウスポーに、川嶋は苦手意識があった。得意とする豪快な右フックも、右構えの選手に対しては死角から飛んでくる必殺ブローとなるが、より遠い距離に立つサウスポーからはただの大振りパンチに見えてしまう。だが、試合の後半から右ストレートを混ぜて修正するあたりは、川嶋の学習能力の高さの証明だ。
 次は前王者、徳山昌守(金沢)との再々戦が有力。「今日は情けない試合で、徳山選手になめられちゃうかもしれないが、1勝1敗なので決着をつけたい」と川嶋。最強挑戦者を破った自信を胸に、勝負を決する日に臨む。【来住哲司】
 ○…きん差の判定で敗れたナバーロは「パンチは受けたが腕でブロックしていた。効果的なパンチはなかった。勝った試合を(ジャッジに)奪われたと思う」と振り返った。試合中盤に右のこぶしを痛めてパンチの威力が落ちたことが影響したとも打ち明けた。プロ22戦目で初の敗戦。判定には最後まで不満げだったが「川嶋は前に出てくるパワーがあり、偉大だった」と、王者に敬意を表した。
毎日新聞 2005年1月3日 22時14分

●読売新聞 2005年1月4日

防衛の王者・川島泣く…けんか殺法でベルト渡さず

 「勝者、川島」のアナウンスを聞いたチャンピオンが、リング上で泣き出した。第一声は「済みません」。苦しい僅差(きんさ)での勝利だった。

 米国代表として出場したシドニー五輪で8強入り、プロ入り後は21戦全勝という挑戦者の輝かしい経歴はダテではなかった。力みのないパンチが、的確に顔面を捕らえ、川島は2回に早くも左目の上を切った。川島のパンチは空を切ることも多く、7ラウンドまでは敗色濃厚だった。

 ただ、川島陣営の感触は違った。川島は「5、6回にいいフックが当たった」。大橋秀行会長は「ナバーロを下がらせれば、怖いパンチは来ない。想定通り」

 王者は、鮮血で真っ赤に染まった顔で前に出続けた。空振りも気にせず、しゃにむに拳を振った。大橋会長の言う「けんか殺法」。ナバーロが逃げきりを図り、手数が減ったこともあり、終盤でポイントを逆転した。

 一人のジャッジが120―109で挑戦者の勝ちとしたように、テクニックでは、エリート街道を進んできた挑戦者が勝っていたが、けんか殺法でしのいだ。

 大橋会長は試合前に言っていた。「エリートは、雑草に負けるもの」

 雑草は次回、因縁の徳山昌守(金沢)と3度目の対戦をする。(臼田 雄一)
(2005/1/4/00:12 読売新聞)

●読売新聞 2005年1月3日

川島は防衛成功、中沼は判定負け…ボクシングW世界戦



WBC・Sフライ級の5ラウンド、左目上を切りながらも果敢にナバーロ(右)を攻める川島


 ボクシング世界ダブルタイトルマッチ12回戦(3日・有明コロシアム)――世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級王者の川島勝重(30)(大橋)は、同級1位で世界初挑戦のホセ・ナバーロ(23)(米)を2―1の判定で退け、2度目の防衛に成功した。

 世界ボクシング協会(WBA)フライ級7位のトラッシュ中沼(29)(国際)は、同級王者のロレンソ・パーラ(26)(ベネズエラ)に0―3の判定で完敗、昨年1月に続く世界戦に失敗した。パーラは3度目の防衛。

 日本のジムに所属する世界王者は、新井田豊(横浜光)と川島の二人。
(2005/1/3/22:23 読売新聞)

●朝日新聞 2005年1月3日

川嶋が判定で防衛、中沼は敗れる ボクシング世界戦


9回、ナバーロ(右)を攻める川嶋

 プロボクシングの世界タイトルマッチ2試合が3日、東京・有明コロシアムで行われ、世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級王者の川嶋勝重(大橋)が同級1位のホセ・ナバーロ(米)に2―1の判定で勝利。2度目の防衛に成功した。世界ボクシング協会(WBA)フライ級では、同級7位のトラッシュ中沼(国際)が、無敗だった王者のロレンソ・パーラ(ベネズエラ)に挑戦したが0―3の判定で敗れた。日本のジム所属の世界王者は、WBAミニマム級の新井田豊(横浜光)と合わせ、2人のまま。

〈川嶋の話〉本当に苦しい試合だったけど、僅差(きんさ)で守れた。情けない試合をしたので、笑われるかもしれないけど、(前王者の)徳山さん、1勝1敗の決着をつけましょう。

(朝日新聞01/03 22:11)

ダブル世界タイトルマッチ 2005年1月3日

WBC世界スーパーフライ級

チャンピオン 川嶋勝重 V.S. 同級1位 ホセ・ナバーロ(米国)

WBA世界フライ級

チャンピオン ロレンソ・パーラ(ベネズエラ) V.S. WBC同級3位 トラッシュ中沼

会場 有明コロシアム

開場 午後2時45分

前座試合開始 午後3時

アリーナ席 30,000円  RS席 30,000円
指定席A 20,000円  指定席B 10,000円 指定席C 5,000円

チケットお問い合わせ先 大橋ボクシングジム 045-451-1994    

12.22 川嶋さんが来宅され、信介にお線香をあげてくれました。防衛戦まであと10日ほど。自宅近くの居酒屋「金谷」で大橋会長とよく出会いますが、会長の話ですと、川嶋さんは現在絶好調だとのことです。故障なくベストコンディションで戦いに臨んで勝利して欲しいと願わずにいられません。今年のボクシングMVPにも選ばれました。おめでとうございます。

11.26 ポスターを頂きました。。WBCの指名試合です。挑戦者ホセ・ナバーロは長いアマチュア戦績もある無敗の1位です。大変な強敵だと思います。正に川嶋さんのボクシング人生、最難関の正念場でしょう。戦前圧倒的に劣勢を予想されていた徳山選手にも勝ったのですから、川嶋さんの勝負強さに期待しています。この戦いに勝って、歴史に残る王者になってほしいと心から希望しています。

●毎日新聞 2004年9月20日

川嶋が判定で初防衛 WBCスーパーフライ級


ボクシングWBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ【川嶋勝重・ラウル・フアレス】


2回、川嶋(右)が1度目のダウンを奪う=横浜文化体育館で20日、山本晋写す

 世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦が20日、横浜文化体育館であり、同級王者、川嶋勝重(29)=大橋=が、同級14位、ラウル・フアレス(30)=メキシコ=を3−0の判定で破り、6月に獲得したタイトルの初防衛に成功した。次の防衛戦は来年1月、同級1位、ホセ・ナバーロ(米国)との指名試合が有力。フアレスは通算4度目の世界挑戦に失敗した。国内の現役世界王者は、世界ボクシング協会(WBA)ミニマム級のイーグル京和(角海老宝石)、WBC同級の新井田豊(横浜光)と合わせ3人。
 【戦評】スピードとパンチ力で上回る川嶋がダウンを3度奪うなど終始優位に進め、判定勝ち。二回、右フックで最初のダウンを奪い、六回には左ボディーブローで2回目のダウン。七回にもボディーへの左パンチで倒した。川嶋はボディーを中心に攻めたがジャブが少なく、一発狙いの大振りが目立って攻め切れなかった。フアレスは時折、上下にパンチを打ち分け攻めに出たが、有効打はほとんど見られなかった。
 ◆長所と課題 両面が出た初防衛戦
 川嶋の「幻の右」が一閃(いっせん)したのは、二回の中盤だった。低い体勢で前に出て、思い切り打ち下ろした右フック。8連続防衛中だった前王者の徳山昌守(金沢)を、わずか1分47秒で倒した必殺のパンチに、挑戦者は足をもつれさせてキャンバスに倒れていった。
 「右は一回は一発も出さず、タイミングを計っていた」という狙い通りの一撃。ボディー攻撃で相手の気を下に向けさせてから打つため、大振りでも相手には死角となる。これで試合の流れをつかみ、六、七回には左ボディーフックでダウンを追加した。
 もっとも、その後は左ジャブが出ず、強引な左右フック主体の攻撃は空転。「相手のリーチが長く、最後まで距離がつかめなかった」。内容は完勝とはいえ、大橋秀行会長も「この程度の相手なら倒さないと」と苦言を呈した。
 8月下旬、取材疲れや初防衛戦の重圧などで体調を崩した。また、フアレスがピークを過ぎた選手のため、本来は相手をビデオで徹底的に研究するタイプなのに、途中で「あまり見ると気が抜ける」と見なくなった。重圧や油断がないまぜとなり、精神面のバランスを欠いていた。
 「今日は悪い時の川嶋。それでもダウンを3度奪うのだから、底力はすごい」と大橋会長。長所と課題の両面が出た初防衛戦。「世界にはいろいろなタイプがいるから、もっと勉強しないと。今日の内容では、僕に負けていった人に失礼」。きまじめに語る王者は、早くも次戦を見据えていた。【来住哲司】
 ○…4度目の世界挑戦にも判定で敗れたフアレスは「見応えのある試合ができたと思う」と話した。3度のダウンを奪われ、「とても強い印象。耐久力があり、力強い選手だった」と川嶋をたたえた。八回に左右のパンチを川嶋の顔面に打ち込む場面にも「そこで続けるべきだったが、できなかった」と残念そう。しかし、右目の周りを赤く腫らした程度で、ほとんどダメージは残っていない様子。「いい試合ができた。もう一度日本に来るのではないか」と笑顔を見せた。
 ▼WBCスーパーフライ級前王者・徳山昌守 川嶋は王者の貫録を感じた。僕が死ぬ思いで8回防衛したベルトなので、こんな相手に負けてほしくなかった。
 【略歴】川嶋勝重(かわしま・かつしげ) 74年10月6日生まれ。千葉県市原市出身。千葉・茂原北陵高卒業後は会社勤めをしていたが、21歳になる直前に退職して大橋ジムに入門。97年2月にプロデビュー。東日本スーパーフライ級新人王を経て02年4月に日本同級王座を獲得(1回防衛)。昨年6月にWBC同級王者(当時)の徳山昌守(金沢)に挑戦し判定負けしたが、今年6月の再戦で一回TKO勝ちで新王者に。右ボクサーファイター。
毎日新聞 2004年9月20日 19時38分

●サンケイスポーツ 2004年9月21日 

川嶋初防衛−フアレスに3−0大差判定勝ち!

 世界ボクシング評議会(WBC)世界スーパーフライ級タイトルマッチ(20日、横浜文化体育館)ハードヒッターの王者・川嶋勝重(29)が圧勝だ。2回に右フックでダウンを奪い、その後も2度のダウンをとり、3−0の大差判定勝利で初防衛に成功した。6月、長期政権を築いた前王者・徳山昌守(29)=金沢=に衝撃の1回TKO勝ち。今回はKO決着はならなかったが、豪腕ショーの再現に、会場は沸いた。元WBA、WBC世界ミニマム級王者・大橋秀行会長(39)は、来年1月3日にWBC世界同級1位ホセ・ナバーロ(22)=米国=と指名試合を行う予定を明らかにした。〔写真:倒したかった…。一方的に攻めたてながら、決定打を奪えなかった川嶋は、ちょっぴり不満顔(撮影・斎藤浩一)〕

 もどかしい。あと一発、このひと振りさえ当たれば…。回を重ねるごとに、川嶋の右フックの軌道が大きく、荒く乱れていく。フルラウンドの終了を告げるゴングがなった瞬間、王者は小さく何度も首を振った。

 2回、豪腕が火を噴いた。打ち下ろした右のパンチを叩きつけられたフアレスが、腰からキャンバスに崩れ落ちた。ジムがある地元横浜のファンから、川嶋コールが沸き起こる。国内世界王者史上、これまでわずか3人しかいない、KO王座奪取、KO初防衛の偉業達成の予感がいきなり現実味を帯びた。

 6回にも左ボディーの連打、7回にも左ボディーでダウンを奪った。だが、一発を狙うあまり、空振りでスタミナをロス。後半になって王者が失速してしまう。「あれだけダウンとったのに。応援してくれた皆さんに申し訳ない」。ポイントでは完勝した王者は、うなだれてしまった。

 だが、この勝利で来年1月3日には、同級1位の最強挑戦者ホセ・ナバーロ(米国)との指名試合が決定した。6月の世界王座奪取、この試合に続き、3カ月の間隔で世界戦を消化する。近年の日本勢の世界王者は、年間2試合の防衛戦がほとんど。過密スケジュールにもみえるが、川嶋は「少しでもボクシング人気を上げることができれば」。王者が短い期間で露出すれば、それだけ注目度もアップする。それが、頂点に立つものの使命と感じているのだ。

 大橋会長も「試合間隔が短く、オーバーワーク気味だった。これも勉強。逆に底力がみえたよ」。来月6日には30歳となる王者だが、防衛ロードをダッシュで駆け抜ける。

▼12回戦
同級王者
川嶋 勝重
(大 橋)
52・1キロ 判 定 同級14位
ラウル・フアレス
(メキシコ)
51・8キロ
※川嶋は初防衛

★川嶋 勝重(かわしま・かつしげ)★
 1974(昭和49)年10月6日、千葉・市原市生まれ、29歳。私立長南高(現・茂原北陵高)では野球部に所属。卒業後、2年半の社会人生活を経て、20歳で大橋ジムに入門、ボクシングを始める。97年2月、プロデビュー。00年12月、東洋太平洋バンタム級王座に挑戦も失敗。02年4月、日本Sフライ級王座獲得。昨年6月、世界初挑戦でWBC世界同級王者・徳山昌守(金沢)に判定負け。今年6月の再戦で、1回107秒のTKO勝ちで王座獲得。30戦27勝(18KO)3敗。1メートル64・5、右ファイター。妻・環(たまき)さん(35)。

 ★そのとき★ 川嶋の妻・環さん(35)はリングサイド席で観戦。判定勝ちが決まると、手を小さくたたいて喜んだ。「前回は1回で勝ちましたが、きょうはずっと緊張感が続いて…。少し疲れました」と苦笑い。徳山に1回KO勝ちし、王座に就いたその6月28日に入籍。「1、2週間はゆっくり休ませてあげたい」と夫を気遣った。

 ★今後の世界戦★ 日本のジムに所属する世界王者は、川嶋を含めて3人。7月に王座を獲得し、王座へ返り咲いたWBA世界ミニマム級王者・新井田豊(25)=横浜光=は10月30日、東京・両国国技館でWBA世界暫定王者フアン・ランダエタ(25)=ベネズエラ=と同級統一の初防衛戦が決まっている。タイ人のWBC世界ミニマム級王者・イーグル京和(25)=角海老宝石=は12月にも東京・後楽園ホールで2度目の防衛戦が濃厚。

 ★矢尾板貞雄の目★ 川嶋の完勝だった。1回からトップスピードの左ジャブを放ったり、右ボディーストレートを繰り出すなど工夫がみられたが、2回に右フックでクリーンなダウンを奪ったために、「いつでも倒せる」と思い込み、体全体に“油断”が走ってしまった。こうなると、緩んだ神経はなかなか戻らない。後半は手数も少なくなり、一発狙いに。回を追うごとにフアレスから細かいジャブを浴びていたが、今後へのダメージや、ビデオで研究されることを思えば、たとえ小さいパンチでももらってはいけない。長く防衛をしたいのなら、余裕のファイトでも細心の注意を払うべきだ。

 もっとも、ローブローを盛んにアピールしたり、ひじ打ちをしてきたこうかつな相手をパワーで圧倒できたことは、いい経験になったはずだ。

(サンケイスポーツ評論家)

★敗れたフアレス「勇利の方が強かったし、動きも速かった」と強がりも

 川嶋に計3度のダウンを奪われて敗れたフアレスは「自分としてはいい試合ができた。また、日本にきたい」と大差のついたポイントにサバサバした表情。96年2月にも来日。元WBC世界フライ級王者・勇利アルバチャコフ(協栄)に挑んだときも、計3度のダウンを喫して判定負けした。皮肉にも8年前とまったく同じ結果となり、「勇利の方が強かったし、動きも速かった」と強がりも。

 ◆大阪市内の自宅でテレビ観戦した前WBC世界Sフライ級王者・徳山昌守 「川嶋君からは、王者の貫禄を感じた。何より勝ったことがいい。次もKOではなく勝つことにこだわってほしい」

●読売新聞 2004年9月21日 

川島が判定勝ち、初防衛…WBC・スーパーフライ級


2回、川島が狙いすました右クロスでフアレスから最初のダウンを奪う

 世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦(20日・横浜文化体育館)――王者の川島勝重(29)(大橋)が、初防衛に成功。同級14位のラウル・フアレス(30)(メキシコ)を3―0の判定で破った。

 日本のジムに所属する世界王者は世界ボクシング協会(WBA)ミニマム級の新井田豊(横浜光)、WBCミニマム級のイーグル京和(角海老宝石)と合わせ、3人のまま。

 2回に右の強打でダウンを奪った川島が序盤から攻勢に出た。しかし、フアレスは左でジャブを放ちながら巧みに距離を取る。王者は左のボディで6回、7回とダウンを奪いながら、仕留め切れない。

 逆に大ぶりのすきを付かれて細かなパンチを浴び、8回には挑戦者のストレートにぐらついた。判定は3―0の完勝。しかし、タフでしたたかな挑戦者のボクシングには手こずった。

 ◆「真価が問われる試合」は不完全燃焼◆

 真っ赤に腫れた顔。勝ち名乗りを受けたリング上で、王者は「済みません。KOできなくて」と頭を下げた。「王座奪取がフロックではないことを示すため、真価が問われる試合」と位置づけた初防衛戦は、不完全燃焼の判定勝ちだった。

 スピードもパワーも王者が数段上。しかし過去42戦のキャリアを持つ挑戦者は、相当な食わせ者だった。

 王者が2回、カウンターの右クロスをさく裂させると、挑戦者は崩れるように尻もち。6、7回にも、ボディー攻撃でダウンを奪った。だが挑戦者はめげない。3・5センチ長いリーチの差を生かして左をコツコツと当てて反撃、形勢不利と見ると、マウスピースをはき出して試合を止め、体力回復の時間を稼いだ。

 こんな厄介な相手と戦うのは初めてだったのだろうか。王者は最後まで、主導権をつかむことができなかった。大橋会長が「一番悪い川島が出た。ダウンを取った場面以外は、すべてポイントを失ってもおかしくなかった」と見たほどだ。

 挑戦者は「王者は強いが、勇利ほどじゃない」と、8年前に判定で敗れた名王者、勇利アルバチャコフと比べて見せた。統一王座獲得、複数階級制覇の大目標を掲げる川島には、耳の痛い言葉だ。来年1月には、無敗の挑戦者ホセ・ナバーロ(米)を迎え撃つ指名試合を予定。ここがまさしく、真価を問われる場となる。(竹内 誠一郎)

●朝日新聞 2004年9月21日

ボクシング川嶋勝重、初防衛 WBCスーパーフライ級


2回、右フックを放つ川嶋(右)

 世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦が20日に横浜文化体育館で行われ、同級王者の川嶋勝重(大橋)が、同級14位のラウル・フアレス(メキシコ)に3−0の判定で初防衛に成功した。日本のジム所属の世界王者は、WBCミニマム級のイーグル京和(角海老宝石)、世界ボクシング協会(WBA)ミニマム級の新井田豊(横浜光)との3人で変わらず。

川嶋勝重 52.1キロ(大橋) 判 定 ラウル・フアレス 51.8キロ(メキシコ)

〈川嶋 勝重〉(かわしま・かつしげ)
 74年10月千葉県市原市出身。千葉・長南高(現・茂原北陵高)では野球部。大橋ジムに入門、97年プロデビュー。02年4月、日本スーパーフライ級王者となり、1度防衛。03年6月、WBC同級王者徳山昌守(金沢)に挑戦して判定で敗れたが、今年6月、徳山との再戦では1回TKOで下し、同級王座に就いた。164.5センチ。右ボクサーファイター。27勝(18KO)3敗。 (09/20 19:56)

●サンケイ新聞 2004年9月21日

川嶋が判定で初防衛 ボクシングWBC世界Sフライ級

初防衛に成功しトロフィーを掲げる川嶋勝重=横浜文化体育館

 世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦は20日、横浜文化体育館で行われ、チャンピオンの川嶋勝重(大橋)が挑戦者のラウル・フアレス(メキシコ)を3−0の判定で破り、初防衛に成功した。

 6月に徳山昌守(金沢)から王座を奪取した川嶋は、2回に右フックでダウンを奪い、その後も左ボディーで2度ダウンを奪った。終始優位に試合を進め、KOこそ逃したが挑戦者を圧倒した。川嶋の戦績は30戦27勝(18KO)3敗。

 日本のジムに所属する世界王者は、世界ボクシング協会(WBA)ミニマム級新井田豊(横浜光)、WBCミニマム級のイーグル京和(角海老宝石)と合わせて3人。

●スポーツ報知 2004年9月21日 

川嶋、初防衛 3度ダウン奪い判定勝ち

プロボクシングWBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ
 王者・川嶋勝重  (29)=大橋=が苦しい判定で、挑戦者で同級14位のラウル・フアレス(30)=メキシコ=を破り、初防衛に成功した。6月28日に前王者の徳山昌守を1回TKOで破り王座を奪取した川嶋は、30戦目で初めて戦うメキシカンの技に苦しんだが、3度のダウンを奪い判定で逃げ切った。次戦は来年1月3日に都内で、同級1位で20戦無敗のホセ・ナバーロ(22)=米国=と2度目の防衛戦を行う。川嶋の戦績は27勝18KO3敗。

KOを逃したものの挑戦者のフアレス(左)を圧倒して判定勝ちを決めた川嶋(カメラ・堺 恒志)  笑顔はなかった。勝者の弁は観衆への謝罪だった。「本当にすいませんでした」両手を合わせて頭を下げた。2、6、7回と3度のダウンを奪った。最大10ポイント差を付ける3―0の判定で初防衛を果たした。
 しかし、納得できなかった。「あれだけダウンを奪って最後を締められなかったのは本当に申し訳ありません」プロとして観衆を魅了する王者を目指している。それにはKOが不可欠だった。王座奪取したときは徳山を107秒で倒した。4500人の観衆が同じ衝撃を期待していることは肌で感じた。判定での防衛は己の美学に反する。勝利に酔うことはできなかった。
 大橋秀行会長(39)が明かした。「最悪の体調だった」電撃KOで世界の頂点を極めた。激変した環境に8月中旬に体調を壊した。伊豆長岡のリハビリ施設で予定外の静養を行うほどだった。悪化する環境に一筋の光を与えてくれたのは一通の手紙だった。差出人は長南高(現茂原北陵)3年時担任の玉谷隆二先生(45)。便せんには「勝っても負けても対戦相手をたたえて欲しい。後輩たちは君のそんな姿を見ているんだから」。29歳になった今も親交がある恩師からの言葉に川嶋は「一番、苦しい時に頂いた手紙だったんで本当に助かりました」と話した。
 試合では2回に右クロス、6、7回には左ボディーでダウンを奪ったが、中盤以降は初めて戦うメキシコ人の変則的な動きに苦しめられた。それでも粘り強く12回を逃げ切ったのは、乾いた心身を癒やしてくれた恩師の言葉のおかげだった。
 次戦は20戦無敗のナバーロが待つ。「最強の挑戦者なんで、みなさんの力で盛り上げて下さい」川嶋はリング上で訴えた。ボクサーになる21歳までに友人を5人も亡くしている。毎年、お盆には帰省し墓前に手を合わせる。今回もそうだった。志半ばで去った友を思う時「自分は精いっぱい、毎日を生きなければと思う」と王者は言う。だからこそ反省ばかりの初防衛戦も振り返ってはいられない。「いろいろな対戦相手と戦うことが勉強になりました」上を向いて川嶋は防衛の道を突き進む。(福留 崇広)
 ◆川嶋 勝重(かわしま・かつしげ)1974年10月6日、千葉・市原市生まれ。29歳。96年に勤務していた会社を退職し、ボクサーを志して大橋ジムに入門。97年2月にプロデビュー。同年12月に東日本新人王に輝く。02年4月に日本スーパーフライ級王座を獲得。初防衛に成功し、03年6月に徳山昌守のWBC同級王座に挑戦も判定負け。今年6月28日の再戦で史上4人目の1回KOで王座奪取。身長164・5センチの右ファイター。家族は6月28日に入籍した環夫人(35)。戦績は27勝18KO3敗。

●スポニチ 2004年9月21日 

川嶋 3度ダウン奪うも連続KOならず


激しい打ち合いで右ストレートをヒットさせる川嶋(右)

 笑顔なき勝利だった。WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチは20日、横浜文化体育館で行われ、王者川嶋が3度のダウンを奪うなど挑戦者フアレスを圧倒し、3―0の判定勝ちで初防衛に成功。しかし、6月に王座を奪った徳山昌守(30)=金沢=戦に続くKO勝利を目指していた川嶋にとっては不完全燃焼の一戦となった。2度目の防衛戦はWBC同級1位で20勝8KOと無敗を誇るホセ・ナバーロ(23)=米国=が相手。最強の挑戦者との戦いで真価が問われる。

 目指しているものは勝利だけではない。だからこそ川嶋は笑えなかった。「KOできなくてすみません。これぐらいの相手なら問題なく倒さないと。あれだけダウンを奪って最後の締めができなかった」。王座を奪うより難しいとされる初防衛戦。だが、川嶋は何よりKO勝ちが欲しかった。
 強烈な右クロスカウンターで最初のダウンを奪ったのは2回。6、7回は試合前のプラン通り、得意のボディー。計3度のダウンを奪った。しかし詰め切れない。ジャブが少なく、大振りのフックが空を切る場面が目立った。6月の徳山戦では1回TKO勝ち。その再現を自らに課していた。
 「やっぱり、倒さないといけないというのがあった」と振り返ったが、相手の汚い振る舞いにもペースを乱された。ダウンの際にわざとマウスピースを吐き出し、試合を中断された。だが、世界王者に君臨するには乗り越えなければならない。
 今月上旬、00年3月の地下鉄日比谷線脱線事故で亡くなったジムの後輩・富久信介さん(享年17)の自宅を訪ねた。「一緒にお墓に入りたい」という父・邦彦さん(57)の希望で家に安置したままの遺骨の横にベルトを供えた。「お父さんが泣いて喜んでくれて…。自分も頑張ろうと思った」(川嶋)だけに悔しさは募る。
 来年1月にも行われる2度目の防衛戦は最強の挑戦者ナバーロが相手。そこでKO勝ちして初めて川嶋は笑う。

●日刊スポーツ 2004年9月21日

川嶋夫人も初防衛に「ホッ」/ボクシング

<プロボクシング:WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦>◇20日◇横浜文化体育館◇観衆4500人

 川嶋勝重(29=大橋)の勇姿をリングサイドで見守った環夫人が判定勝利の瞬間、安堵(あんど)の表情を浮かべた。世界奪取した徳山戦は1回KOとすぐに試合終了となったが、今回は判定までもつれ「緊張感が続いて、判定勝ちを聞くまで安心できなくて…。疲れました。減量がきつそうだったし、1〜2週間はゆっくりさせてあげたい」と初防衛に成功した夫を気遣った。


写真=初防衛に成功し環夫人と喜び合う川嶋

●日刊スポーツ 2004年9月21日

川嶋が判定で世界王座初防衛/ボクシング

<プロボクシング:WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦>◇20日◇横浜文化体育館◇観衆4500人

 WBC世界スーパーフライ級王者の川嶋勝重(29=大橋)が3度のダウンを奪い初防衛に成功した。同級14位ラウル・フアレス(30=メキシコ)を自慢の強打で圧倒。2回に右フック、6、7回には左ボディーブローでキャンバスにはわせた。KOは逃したが3−0の判定勝ち。来年1月3日に同級1位ホセ・ナバーロ(22=米国)と2度目の防衛戦を行う。

 川嶋が口を真一文字に結び、首をかしげた。リングに勝利のコールが響いたときだ。「KOできなくて申し訳ない。あれだけダウンを奪ったのに…」。観客の祝福の歓声に、苦笑いを浮かべて頭を下げた。左目の下が紫色に腫れている。初防衛の喜びはなかった。

 2回、自慢の右が火を噴いた。カウンターで挑戦者のテンプルを打ち抜いた。先制のダウンを奪ったが、あの徳山を失神させた連打に勢いがない。6回と7回には左ボディーアッパーで倒した。しかし、立ち上がった挑戦者が2度もマウスピースをはき出して時間を稼ぐ。フィニッシュの機会を失った。

 ジャッジ3人の採点は王者を支持していたものの、2〜10ポイントと分かれた。ダウンを奪ったラウンド以外は、フアレスの細かい連打に苦しんだ。「やりにくかった。ダウンを奪ったけど、目は死んでいなかった。カウンターを狙っているのが分かった」と川嶋。技術ではフライ級上がりの格下挑戦者が上だった。

 6月に名王者の徳山をわずか107秒で沈めた。環境が激変した。テレビカメラが連日くっついた。8月中旬、酷暑の中の練習と慣れない生活に、肉体が悲鳴を上げた。1分間40台の脈拍が60台まで上昇。伊豆長岡の温泉で急きょ休養した。「試合間隔が短く、オーバーワークだった」と大橋会長は予想外の苦戦の原因を分析した。

 世界王座奪取の日に入籍した環夫人(35)は、夫の微妙な変化を見抜いていた。「『負ければ徳山に勝った意味がない』と家でも気持ちが緩まないようでした。筋肉がついた分だけ体重も落ちなくなっていました。前回より1週間も早く食べなくなった」。調整段階から気負いがあった。

 勝利にも大橋会長は「今日の相手は倒さないとだめ」と厳しかった。来年1月3日に同級1位ホセ・ナバーロ(米国)と2度目の防衛戦が内定している。20戦全勝(8KO)の無敗の最強挑戦者を迎える。「いろんなタイプの選手とスパーリングを積んでもっと勉強したい。精神面は大丈夫。技術面を磨きたい」。29歳の王者にとって次が正念場になる。【首藤正徳】


写真=フアレスから3度のダウンを奪ったもののKOできず不満顔で手を上げる川嶋(撮影・中島郁夫)

.9.17 NHKから案内が来ました。観てやって下さい。
ドキュメント・スポーツ大陸
「不器用な世界チャンプ〜ボクサー川島勝重 初防衛への日々〜」
NHKBS1 9月19日(日)18:00ー18:49
NHKBS-hi 9月25日(土)8:00ー8:49
8.28 川嶋さんがNHKの取材スタッフと一緒に来宅され、チャンピオンベルトを信介の霊前に供えてくれました。あいつもどんなにか喜んだろうと思うと、涙を禁じ得ませんでした。川嶋さん、ありがとうございました。初防衛戦の前日、9月19日にNHK衛星第一午後6時から50分間放映されるドキュメンタリー番組「スポーツ大陸」の取材で、帰られるまでカメラを回しっぱなしでした。私も妻もマスコミに出るのは、もうイヤなんだけど、川嶋さんのドキュメンタリー番組ですので、喜んで全面協力させていただきました。お時間がありましたら、是非、番組をご覧下さい。

川嶋さん、タイトルを取るより守ることの方がずっと難しいと言います。守るのではなく、挑戦するつもりで戦って下さい。KOで防衛する、奇をてらわぬ、真に強い正統派アスリートを目指して下さい。プロは、いくら稼ぐかで、その価値が決まります。1億円のファイトマネーを稼ぐような、人気のある強い王者を、アスリートとして、目指して欲しいと思っています。(管理人)

WBCスーパーフライ級新王者・川嶋勝重 初防衛戦 9月20日

WBCスーパーフライ級チャンピオン・川嶋勝重 VS 同級世界15位 ラウル・ファレス(メキシコ)

2004年9月20日(月)祭日 横浜文化体育館
開場 午後2時45分  前座試合開始 午後3時

SRS ¥50000 RS ¥30000
指定席 ¥20000 スタンドA ¥30000 スタンドB¥20000 スタンドC¥10000

主催 大橋ジム

後援 日刊スポーツ新聞社
協賛 テレビ東京
協力 (株)エイワ (株)ハウスプラン

お問い合わせ 大橋ジム 045-451-1994

●毎日新聞 2004年7月23日

周到に番狂わせKO WBCスーパーフライ級新王者・川嶋勝重に聞く

◇周到に「番狂わせKO」

◇脱サラ入門に「背水」結婚…覚悟と努力と「継続は力です」
6月28日の世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級タイトルマッチを一回1分47秒TKO勝ちで制し、王座に就いた川嶋勝重(29)=大橋。8連続防衛中だった徳山昌守(金沢)を、同級世界戦史上最短KOタイムで倒した一戦は、日本プロボクシング史に残る番狂わせだった。9月20日に同級15位、ラウル・フアレス(メキシコ)との初防衛戦が決まった新王者に、徳山戦の裏話や今後の抱負などを聞いた。【来住哲司】
−−昨年6月に判定負けした徳山選手にわずか1分47秒で雪辱。前回は相手のアウトボクシングの前に完敗だったので、正直驚きました。
川嶋 自分でもびっくりです(笑い)。世界戦で一回TKOとは。
−−最初のダウンは右フックで奪いましたが、徳山選手の左ガードの低さを突く作戦だった?
川嶋 はい。右フックは特に練習しました。ミット打ちで、トレーナーに左ジャブを打たせてそれにかぶせたり、相手が頭を下げた低い位置を想定して打ったり。いざ試合が始まったら、僕の左には反応するが、右への反応が鈍い。これは右が当たるなと思った。
−−相当研究した?
川嶋 この1年間、暇さえあれば前回の試合のビデオを見ていた。試合中には気づかなかった相手の癖が分かった。例えば、後半になると(パンチを避けようとして)頭を下げる位置がすべて同じ。だから、実は後半KOを狙っていた。それと左ジャブを鍛えたおかげで、左の突き合いで負けなかったことも大きい。
−−徳山戦当日は昼に婚姻届を提出してから会場入りしたそうですが。
川嶋 2年前から一緒に暮らしている彼女がいて、前回は勝ったら結婚する予定だったが、今回は自分にプレッシャーをかけようと。実際、(婚姻届を)出した後はすごいプレッシャーでした(笑い)。「もし負けたら、どうやって食わせていこう」とか経済的な不安が次々浮かんできて。最後は「だから絶対勝つんだ」と決意を固めたけど。
x−−20歳でボクシングを始めた時も脱サラして入門。思い切りがいいですね。
川嶋 友人の試合を応援に行き、初めて生で見たボクシングの迫力に魅せられた。退職したのは、それなりの覚悟を決めようと思って。
−−大橋秀行会長は「最初は素質が感じられず、目立たなかった」と言っています。
川嶋 ボクシングは殴り合いと思って始めたが、駆け引きがあるし難しい。僕は鈍くてパンチをよけられなかったけど、その分、ガードをしっかりするようにした。世の中、センスや才能だけじxゃない。大切なのは努力。継続は力なりですよ。
−−初防衛戦も決まりました。今後の抱負を。
川嶋 ボクシングの人気アップのためにも次もKOで勝ちたい。倒さないと徳山戦はラッキーパンチと思われちゃう。将来的には階級を上げての2階級制覇や(世界ボクシング協会=WBA=王者との)王座統一戦が目標。皆さんに喜んでもらえる試合をしたい。
………………………………………………………………………………………………………
■人物略歴
◇かわしま・かつしげ
74年10月6日生まれ。千葉県市原市出身。茂原北陵高卒業後、メーカーに勤務するが、21歳になる直前に大橋ジムに入門。97年2月にプロデビューし、東日本スーパーフライ級新人王を経て02年4月に日本同級王座を獲得。03年6月、WBC同級王者(当時)の徳山昌守に判定負け。6月28日、徳山との再戦に一回TKO勝ちし、王座を獲得。横浜市内のマンションに妻(35)と2人暮らし。戦績29戦26勝(18KO)3敗。右ボクサーファイター。

●朝日新聞 2004年7月22日

川嶋、9月に初防衛戦 「KOで防衛したい」

 世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級王者、川嶋勝重(29)の初防衛戦が9月20日、横浜市の横浜文化体育館で行われることが22日、所属の大橋ジムから発表された。挑戦者は同級15位で元WBC米大陸同級王者ラウル・フアレス(30)=メキシコ。

 川嶋は6月末に9連続防衛を目指した前王者の徳山昌守=金沢=を1回TKOで破って初王座に就いたばかりだが「そのことは忘れて9月20日に集中し、キツい練習をどんどんやる」。ジムの会長から「1回KOを狙ってほしい」と言われ「慌てて狙いたくはないが、いけると思ったらいく。KOで防衛したい」と意欲をみせた。

 戦績は26勝(18KO)3敗。フアレスが32勝(15KO)9敗1無効試合。

●毎日新聞 2004年7月22日

Sフライ級王者川嶋、初防衛戦の相手決まる

 世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級王者、川嶋勝重(29)=大橋=の初防衛戦が9月20日、横浜文化体育館で同級15位、ラウル・フアレス(30)=メキシコ=を相手に行われることが22日、大橋ジムから発表された。
 川嶋は6月28日、8連続防衛中だった徳山昌守(金沢)を一回TKOで降して王座奪取。東京都内の飲食店で行われた会見で大橋秀行会長は「次も一回KOを狙わせる」と宣言した。8日から練習を再開している川嶋も「見ている人が喜ぶKOをしたい」とKO防衛を誓った。
 フアレスは42戦32勝(15KO)9敗1ノーコンテストで、連打が得意の右ボクサーファイター。96年2月にWBCフライ級王者(当時)の勇利アルバチャコフ(協栄)に挑戦(判定負け)している。【来住哲司】

●日刊スポーツ 2004年7月22日

ボクシング川嶋が9月に初防衛戦

 世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級チャンピオン川嶋勝重(29=大橋)が、9月20日に横浜文化体育館でラウル・フアレス(30=メキシコ)を相手に初防衛戦を行うことが22日、発表された。

 挑戦者のフアレスは、96年に当時のWBCフライ級王者勇利アルバチャコフに判定負けするなど、過去3度世界挑戦した経験を持つ。連打が武器で戦績は42戦32勝(15KO)9敗1無効試合。

 6月に徳山昌守(金沢)に1回TKO勝ちして新王者となった川嶋は「きちんと調整できれば自信はある。(KOは)期待している人もいるので、いけると思ったら狙う」と話した。

●読売新聞 2004年7月22日

Sフライ級王者・川島、メキシコのフアレスと初防衛戦

 世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級新王者の川島勝重(大橋)の初防衛戦が大橋ジムから22日、発表された。挑戦者は同級15位のラウル・フアレス(30)(メキシコ)。9月20日に横浜文化体育館で行われる。

 フアレスは、細かい連打が得意の右ボクサーファイター。勇利アルバチャコフ(協栄)戦など3度の世界タイトル戦の経験を持つ。プロ戦績は42戦32勝(15KO)9敗1無効試合。

 この日、都内のホテルで会見した大橋秀行会長は、川島がこれまでメキシコ選手と対戦がないことに触れ、「独特のリズムがあり、間違いなく戸惑うでしょう」と警戒。それでも、ベルトを奪った徳山昌守(金沢)戦同様、「1ラウンドKOを狙わせる」。川島は「きつい練習をやって、ファンが喜ぶKOで防衛したい」と抱負を語った。

●日刊スポーツ 2004年7月15日

川嶋が市原市の名誉市民候補に

 WBC世界スーパーフライ級王者川嶋勝重(29=大橋)が14日、故郷の千葉・市原で統一王者、2階級制覇を誓った。王座奪取後初の帰郷で、02年に亡くなった祖母ふみさんの墓参り後に市役所を訪問。職員約300人の祝福を受けた。タイトル戦で600人の同市民の応援を受けた川嶋は「皆様の応援のおかげです。でもここからがスタート。統一王者と2階級制覇を目指したい」と9月20日に浮上している防衛戦以降の抱負を語った。佐久間隆義市長(58)も同市のスポーツ界から初めての市原名誉市民を検討する意向を示した

●サンケイスポーツ2004年7月14日

川嶋が千葉・市原市役所を表敬訪問

 先月28日にWBC世界Sフライ級の王座を奪取した王者・川嶋勝重(29)=大橋=が14日、千葉・市原市役所を表敬訪問した。王座獲得後初めて地元に戻った王者は、300人近い職員と市民に盛大な歓迎を受け、「9月予定の初防衛を果たし、(WBAとの)統一王者、2、3階級制覇の大きな夢に向かっていきたい」と宣言。佐久間隆義市長(58)も「川嶋さんの夢は、市原の青年や子供たちの夢。今後は名誉市民も検討したい」。

●サンケイスポーツ2004年7月8日

王者・川嶋が練習再開、9月下旬にも初防衛戦

 先月28日に1回TKO勝ちでプロボクシングWBC世界Sフライ級新王者となった川嶋勝重(29)が8日、横浜市内の大橋ジムで練習を再開した。シャドーを8回こなした川嶋は、「前回の試合で、力まずに相手を倒すコツをつかめた。次も中盤には相手をKOしたい」。陣営では9月下旬にも初防衛戦を行いたい意向で、28日から静岡・伊豆で1週間のキャンプに入る。

 3日にWBA世界ミニマム級王座に返り咲いた新井田豊(25)=横浜光=の陣営が、横浜を本拠とする川嶋&新井田のダブル世界戦に興味を示している。川嶋の師・大橋秀行会長(39)は「悲願の世界統一戦を、ダブルでやりたいね」とビッグプランをぶち上げた。

●スポニチ2004年7月4日 

川嶋に新ベルト授与

 世界戦前にWBC世界スーパーフライ級のベルト授与式が行われ、新王者の川嶋に真新しいベルトが贈られた。スーツの上からベルトを身につけた川嶋は「まだ実感はないが、日本のボクシング界を盛り上げるために、引っ張っていく試合をしたい」とあいさつ。また、新井田の王座奪取には「終盤前に出て勝てたが、中盤も出ていれば、もっと分かりやすい試合になったと思う」と感想を語っていた。

●サンケイスポーツ2004年7月1日

川嶋、“王者初仕事”はWOWOW解説

 6月28日の世界戦で王者・徳山を1RKOし、新WBC世界Sフライ級王者となった川嶋勝重(29)=大橋=が1日、世界王者としての初仕事で、元WBO世界Sバンタム級王者マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)vs元WBA世界バンタム級王者ポーリー・アヤラ(米国)のフェザー級12回戦のテレビ解説を行った=写真。この模様は、4日深夜0時からのWOWOWエキサイトマッチで放映される。

 また、早ければ9月下旬にも初防衛戦を行う可能性があることを明らかにした。「初防衛戦の内容にもよるが、年内2試合は可能かと思う」。元世界王者で現解説者の浜田剛史氏(43)から「KO劇でボクシング界を引っ張ってほしい」とエールをおくられた。

7.2 川嶋さん、おめでとうございます。今日は信介の22歳の誕生日です。「世界チャンピオン」という大きなプレゼントを頂きまして、ありがとうございました。(管理人)

●毎日新聞 2004年6月29日 19時16分

新王者の川嶋「まだ実感わかない」

WBCスーパーフライ級のタイトル獲得から1日たち、笑顔で会見する川嶋勝重=横浜市神奈川区の大橋ジムで29日午後3時、手塚耕一郎写す


 世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級新王者の川嶋勝重(29)が29日、横浜市の大橋ジムで大橋秀行会長とともに会見。「うれしいけど、まだ実感はわかない。あんなにきれいに(王者が)倒れるとは思わなかった」と改めて王座奪取の喜びを語った。
 28日のタイトル戦で、9度目の防衛を目指した王者・徳山昌守(29)=金沢=にTKO勝ち(一回1分47秒)を収めた川嶋は「(ビデオを見ると)力が抜けていい動きができていた。1分を過ぎたくらいで、判定になっても勝てる感触があった」と試合を振り返った。さらに、「年も年なんで長く防衛するよりは階級を上げたり、統一戦をしたりしたい」と、複数階級の制覇などを今後の目標に掲げた。【高山純二】

●毎日新聞 2004年6月28日 23時18分

誓い果たした川嶋 「在日の星」破り王座に

【徳山昌守・川嶋勝重】新チャンピオン川嶋(左)の手を取る徳山=横浜アリーナで28日、尾籠章裕写す

 横浜市の横浜アリーナで28日行われた世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級タイトルマッチで、同級6位の川嶋勝重選手(29)が、9度目の防衛戦を迎えた在日朝鮮人3世の徳山昌守(本名・洪昌守)選手(29)に一回TKO勝ちを収め、世界王座を奪取した。新王者のトランクスには、営団地下鉄(当時)日比谷線の脱線・衝突事故で亡くなった後輩のイニシャルが縫いつけられていた。
 00年3月に起きた事故で、川嶋選手が所属する大橋ジムの後輩、私立麻布高2年の富久信介さん(当時17歳)=横浜市=が巻き添えに遭った。一緒にスパーリングもしていた弟のような存在。川嶋選手は「あいつもリングに立ちたかっただろうから」と後輩のイニシャル「S・T」をトランクスに入れた。徳山選手に初挑戦した昨年6月もイニシャルを入れて臨んだが判定負け。今回も試合前、富久さん宅を訪れ、今も遺骨が残る霊前に改めて必勝を誓った。
 リングサイドでは信介さんの遺族が見守った。試合開始わずか1分47秒のTKO劇。富久さんの父邦彦さん(57)の目には涙が浮かんでいた。「とにかく興奮している。川嶋さんの夢が実現したリングに(信介を)連れて行ってもらい、ベルトも持ってきてくれると言うし。言葉が出ない」と感激に浸った。
 ◇在日の星ぼうぜん
 一方、「在日の星」と呼ばれた徳山選手に声援を送った大勢の応援団はヒーローの敗北にぼうぜんとした。3年10カ月守ったタイトルを手放した徳山選手は控室でサバサバした様子で、報道陣に「一回KO負けか。今まで運を使いすぎちゃったかな」などと冗談を連発した。母の権敏子さん(60)は「今回は元気がなかった。本人がまだボクシングを続けるなら応援するが、私はやめてほしい」と涙をこらえ、妻の崔仁淑さん(29)は「これが勝負の世界です。けががなくてよかった」と気丈に話した。
 徳山は試合後、進退について「今はボクシングのことは考えたくない。会長と相談します」と保留した。ただし、川嶋との再々戦については「スーパーフライ級は(減量がきつくて)限界。再起するならバンタム級かスーパーバンタム級で」と否定した。【高山純二、来住哲司】

●毎日新聞 2004年6月28日 21時51分

新王者の川嶋 トランクスには後輩の名前


 横浜市の横浜アリーナで28日行われた世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級タイトルマッチで、同級6位の川嶋勝重選手(29)が、王者の徳山昌守選手(29)に一回TKO勝ちを収め、世界王座を奪取した。新王者のトランクスには、営団地下鉄(当時)日比谷線の脱線・衝突事故で亡くなった後輩のイニシャルが縫いつけられていた。
 00年3月、東京都目黒区の中目黒駅近くで起きた事故で、川嶋選手が所属する大橋ジムの後輩、私立麻布高2年の富久信介さん(当時17歳)=横浜市=が乗車中、巻き添えに遭った。一緒にスパーリングもしていた弟のような存在。川嶋選手は「あいつもリングに立ちたかっただろうから」と志半ばで亡くなった後輩のイニシャル「S・T」をトランクスに入れ、リングに上がった。
 徳山選手に初挑戦した昨年6月、川嶋選手は今回同様、イニシャルを入れた。だが、腰痛など体調が万全でなく、判定負け。再戦となった今回も試合前、富久さん宅を訪れ、今も遺骨が残る霊前に改めて必勝を誓った。「(会場に)見に来て応援してくれ。勝ったらベルトを見せに来る」
 リングサイドでは信介さんの遺族が見守った。父邦彦さん(57)は「川嶋選手の気持ちがありがたい。多少でも(信介が)力になってくれれば本望。やっぱりあいつが戦っている気分になる」と落ち着かない様子だったが、試合開始を告げるゴングが鳴ってから、わずか1分47秒のTKO勝ち。一気に興奮の頂点に達した会場の中で、ともに世界の頂点を極めた「息子」の王座奪取の感激に浸った。【高山純二】

●スポニチ2004年6月29日 

川嶋107秒で世界奪取

1R、ダウンを奪った川嶋は勢い余って徳山を飛び越える


 ボクシングのダブル世界タイトルマッチが28日、横浜アリーナで行われ、川嶋勝重(29)=大橋=が日本人歴代2位の速攻KO勝ちで世界王座を奪取した。WBC世界スーパーフライ級王者・徳山昌守(29)=金沢=から右フックで2度のダウンを奪い、わずか1回1分47秒で圧勝。元WBA世界スーパーライト級王者の平仲明信(現平仲ジム会長)が持つ世界戦での最速KO記録、1分32秒に次ぐスピード決着だった。また、WBC世界ミニマム級タイトルマッチは、王者のイーグル京和(25)=角海老宝石=が、8回負傷判定ながら、ジャッジ3人がいずれもフルマークをつける3―0の判定で小熊坂論(27)=新日本木村=を破り初防衛に成功した。

 確かな感触が右拳を貫いた。1R1分30秒すぎ、川嶋のパワフルな右フックに、王者・徳山が前のめりに倒れた。足元が定まらない獲物に、再びきばをむく。またも右フックが顔面をとらえると、8度の防衛を誇る王者が、前のめりにキャンバスに崩れ落ちた。日本人2位の107秒でのスピード勝利だった。
 肩車され、泣きながら両手を突き上げた新王者は「何でもいいんで当たってくれればと思ってました。信じられない。夢みたいです」。誰よりも川嶋本人が、現実を信じられなかった。
 昨年6月の初対決では王者の老かいな動きに、判定で涙をのんだ。オーバーワークがたたり、ぎっくり腰になる不運もあった。勝てば02年3月から同棲している工藤環(たまき)さん(35)と入籍する予定だったが、試合前、2人で横浜市の港区役所を訪れ婚姻届を提出。入籍でけじめをつけてリングに上がった。
 20歳の時、地元・千葉の企業を辞め、大橋ジムに入門した。「大橋ジムからデビューした幼なじみの試合を見て、自分もやってみたくなった」と野球少年がボクシングに目覚めた。環さんと知り合ったのも彼女が同ジムの練習生だったことがきっかけだった。
 試合後、チャンピオン・ベルトを腰にまくと、リングサイドの新妻のもとに急いだ。「防衛戦との兼ね合いでタイミングが合えば結婚式を挙げたいです」。わがままを言い出した夫を、新妻が優しいまなざしで見つめた。

●スポーツ報知2004年6月19日

川嶋 1R秒殺で王座奪取

 挑戦者・川嶋勝重(29)=大橋=が衝撃の107秒で世界の頂点を極めた。8連続防衛中の王者・徳山昌守(29)=金沢=と昨年6月以来1年ぶりの再戦に挑み、開始90秒右フックでダウンを奪い、1分47秒レフェリーストップによるTKO勝ち。日本ボクシング界にニューヒーローが誕生した。(観衆1万2000


1回、川嶋(右)の右フックが徳山の顔面をとらえダウンを奪う(カメラ・安藤 篤志)

 「夢なのか」川嶋の頭は真っ白になった。開始90秒。右腕をブーメランのように回したのは覚えている。王者の顔面にフックが当たった。倒れた。「夢だろ? 夢が覚めたらオレは病院にいるんじゃないのか」レフェリーが数えるカウントも信じられなかった。
 信じられない思いを振り切るように6連打を放った。最後は右ストレート。徳山が再び倒れた。レフェリーが両手を交差する。勝った。松本好二トレーナーに肩車された。涙が流れる。総立ちのアリーナを見渡した時、夢は覚めた。「世界チャンピオンになったんだ」わずか107秒のTKOは日本の世界戦史上2位、スーパーフライ級では世界最短のK 昨年6月23日、横浜アリーナで徳山に挑み0―3の判定で完敗。1年後の再戦。場所も同じ横浜アリーナ。負けは許されなかった。2つの誓いで己を追い込んだ。「負けたら引退」。もう一つは、男のけじめだった。2002年3月から同居している恋人の工藤環さん(35)との結婚だ。戦前は試合後に入籍すると公言。だが「自分にプレッシャーをかける意味でも試合当日の今日、入籍しました」28日正午に横浜市南区役所に入籍届を提出。オレが養わなければこいつはどうなる。男の責任感が世界奪取へ挑む魂を奮い立たせた。
 どこにでもいるサラリーマンは21歳の時、初めて生で見たボクシングに衝撃を受けた。「オレも強くなりたい」自宅近所の大橋ジムに飛び込んだ。入門当時は「不器用な選手という印象しかない」と松本トレーナー。それが独自に工夫するトレーニングの積み重ねで力をつけた。生活も徳山一色に染めた。ビデオデッキには昨年の試合のテープが1年間、入ったまま。気が付くとビデオを回していた。史上6人目となる再戦での世界奪取は執念と努力の結晶だった。
 この日、トランクスにジムの後輩で00年の日比谷線事故で亡くなった富久信介さん(当時17歳)のイニシャル「S・T」を縫い込んだ。「すべての人に感謝したい」夢を現実にした新王者は天を見上げた。(福留 崇広)
 ◆川嶋 勝重(かわしま・かつしげ)1974年10月6日、千葉・市原市生まれ。29歳。茂原北陵高では野球部に所属。20歳のときに脱サラし、21歳で大橋ジムに入門。97年2月にプロデビュー。2002年4月に日本スーパーフライ級王座を獲得し、1度の防衛のあと返上。昨年6月、WBC世界同級王者・徳山昌守に挑戦するが12回判定負け。身長165センチの右ボクサーファイター。

●サンケイスポーツ2004年6月29日

川嶋右フック一閃! 徳山倒し国内最短KO奪取

 衝撃だ、電光石火だ、国内最短のKO奪取だ! プロボクシングWBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦(28日、横浜アリーナ)。挑戦者・川嶋勝重(29)が1回1分47秒、右フックからの連打で王者・徳山昌守(29)から2度ダウンを奪うTKO勝ち。昨年6月の初挑戦で判定負けした相手に雪辱を晴らした。この日の試合前、横浜市内の区役所で入籍を済ませ、妻となったばかりの環(たまき)さん(35)に歓喜の勝利をプレゼント。元WBA、WBC世界ミニマム級王者・大橋秀行会長(39)と、国内史上2例目の師弟世界王者の誕生となった。徳山は9度目の防衛に失敗した。


〔写真右:電光石火の速攻。川嶋=上=の右フックが徳山をとらえ、ダウンを奪う=撮影・江角和宏。


同下:1年間待たせたフィアンセ、工藤環さん=左=と晴れてゴールインだ=撮影・江角和宏〕




▼WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦
同級11位
川嶋 勝重
(大橋)
52・1キロ TKO
1回1分47秒 同級王者
徳山 昌守
(金沢)
52・1キロ
※川嶋は新王者

 その一瞬、右フックが閃光になる。川嶋の右拳が、王者のアゴを打ち抜いた。前に傾く王者に、再び右がヒット。ダウン。立ち上がった相手に、さらに連打。難攻不落の王者がキャンバスに沈み、ボクシングの歴史が動いた。

 国内最短タイムの世界王座奪取。さらに、世界同級の最短KO記録も塗り替える衝撃のKO決着。1万4000人の観衆のどよめきが地響きになった。肩車をされて高々と両腕を突き上げた新王者は、「判定でも何でもいいから勝てればと思った…。まだ、信じられない」。涙と嗚咽で声がつまった。

 リングサイド。川嶋の視線のさきに、最愛のひとがいた。この日午後、区役所に2人で出向き、妻となったばかりの環さんだ。川嶋がジムに入門した当時に知り合い、3年前から一緒に暮らし始めた。昨年6月、前回の世界挑戦の直前、環さんは、オーバーワークから激しい腰痛に見舞われ、自分では靴下も履けなくなる川嶋の姿を見てきた。本来の力をみせることなく敗れた前戦から丸1年。勝ったら結婚する約束を信じて待ってくれた。川嶋は「以前から、きょうの試合の日に籍を入れようと、決めていた」。その拳で最高の“結婚記念日”を演出した。

 国内史上2例目の師弟世界王者誕生に、大橋会長は「信じられない。自分が世界を獲ったときより、うれしいよ」。紅潮した顔で何度も繰り返した。2人には約束があった。この日の川嶋のトランクスには「S・T」の文字が縫い込まれた。4年前の3月、地下鉄日比谷線の脱線衝突事故で亡くなった富久信介さん=当時麻布高2年、享年17=のイニシャルだ。学校にボクシング部をつくり、プロを目指して大橋ジムに入門してきた富久さんのまじめさに打たれ、川嶋が弟のようにかわいがって指導した青年だ。試合前、川嶋はこの元ジムメートの遺骨に「応援してくれ」と話し掛けた。勝利の祈願ではない。「ベルトは自分の力でつかむものだから」。志半ばで逝った青年の遺影に、大橋会長ともに、ついにベルトをみせるときがやってきた。

(丸山汎)

★川嶋 勝重(かわしま・かつしげ) 1974(昭和49)年10月6日、千葉・市原市生まれ。29歳。私立茂原北陵高では野球部に所属。卒業後、2年半の社会人生活を経て、20歳で大橋ジムに入門、ボクシングを始める。97年2月、プロデビュー。00年12月、東洋太平洋バンタム級王座に挑戦も判定負け。02年4月、日本Sフライ級王座を獲得。昨年6月の世界初挑戦では、WBC世界同級王者・徳山昌守に判定負け。プロ29戦26勝(18KO)3敗。1メートル64・5、右ボクサーファイター。

■川嶋・全成績■
▼97年
2・20 ○K O2回 平賀  忍(ヤマグチ土浦)
5・30 ○K O2回 吉田 宣彦(F原田)
8・4 ○判定4回 久米 尚平(ライオンズ)
9・30 ○K O4回 森本  茂(宮 田)
11・8 ○判定6回 高橋  仁(角海老宝石)
12・20 ●判定6回 中野  博(畑 中)
▼98年
3・24 ○K O1回 佐々木顕次(富 士)
5・8 ○TKO3回 鎌田 直樹(京 浜)
6・22 ○K O3回 木村  司(角海老宝石)
7・16 ○判定5回 松下 義和(本田フィットネス)
10・23 ○TKO6回 金田 真英(18古河)
▼99年
1・30 ○判定8回 金 長 福(韓 国)
4・28 ○TKO5回 キャットワンチャイ(タ イ)
8・3 ○K O4回 デュセラン(フィリピン)
11・2 ○K O3回 ガスタドール(フィリピン)
▼00年
3・23 ○K O2回 シスナルポン(タ イ)
6・27 ○判定10回 永井 祐司(沼 田)
10・19 ○TKO7回 柳川 荒士(白井・具志堅)
12・11 ●判定12回 マーカ(フィリピン)
(東洋太平洋バンタム級王座挑戦失敗)
▼01年
3・27 ○TKO2回 クンパラオラチャダー(タ イ)
8・27 ○判定10回 シスオー(タ イ)
12・4 ○K O4回 キャオウィサク(タ イ)
▼02年
4・20 ○判定10回 佐々木真吾(木更津グリーンベイ)
(日本Sフライ級王座獲得)
7・30 ○K O5回 結城 康友(ヨネクラ)
(日本Sフライ級王座防衛(1))
12・18 ○K O2回 シンマナサック(タ イ)
▼03年
6・23 ●判定12回 徳山 昌守(金 沢)
(WBC世界Sフライ級王座挑戦失敗)
10・18 ○判定10回 盧 昊 燮(韓 国)
▼04年
1・15 ○K O2回 シッソパー(タ イ)
6・28 ○TKO1回 徳山 昌守(金 沢)
(WBC世界Sフライ級王座獲得)

★そのとき★

 衝撃の1回TKO劇から、歓喜の優勝インタビューで自らの名前が呼ばれる間、この日の午後に晴れて入籍を済ませたばかりの妻・環さんは目を大きく見開いて、パートナーの雄姿を見つめていた。試合直前、無言でガッツポーズをつくってリングへ向かう夫の姿に、「“勝ってくるぞ”という意欲と受け取りました。試合は早すぎてよくわからなくて…。でも、夢みたいです」。新婚生活は最高の船出となった。


★前回VTR★(03年6月23日、横浜アリーナ)

 序盤から王者・徳山が距離をキープし、鋭いジャブで攻撃。挑戦者・川嶋の豪打を、ステップやスエーバックなどのテクニックを駆使して封じ込めた。川嶋は腰痛もあって攻撃が単発に。終止ペースを握った徳山が、3−0の判定勝ちで7度目の防衛に成功。


★徳山は記憶失い王座失う

 記憶を失っていた。わずか1分47秒。川嶋の右ストレートを浴び、2度目のダウン。崩れ落ちた王者を見て、レフェリーがストップを宣告した。徳山は「負けるときはこんなもんですかね。相手が強かった。これがKO負けなんですね…。いつ以来かな負けなんて…」。97年11月25日、スズキ・カバト(新日本大阪)に負傷判定で敗れて以来、2407日ぶりの黒星。3年10カ月に及んだ長期政権は終わりを告げた。「しばらくボクシングを離れたい」。まさかの敗戦は新たな挑戦への始まり。まだ先のゴールに向かって、立ち上がる。


★矢尾板貞雄の目★

 再戦は受けて立つ立場と、挑む側で温度差があるものだ。前回敗れた選手は何とかしてやろうと必死で研究する。勝った側は案外、何とかなると思っている部分がある。挑戦者・川嶋は1年前の敗戦の教訓、失敗を生かしていた。

 左ジャブを打った後にガードが緩み、パンチを下げて戻す徳山の数少ない欠点を的確についた。ダウンに追い込んだ右フック、右ストレートはまさにその研究の成果。これまでは相手が出てきたところに、応戦してパンチを出すタイプだったが、この試合では自分から積極的に前に出て、手数を出していた。入念に練ってきた徳山への対策を、意識しなくても体が自然に動くほど練習を重ねていたようだ。時間は短かったが、濃密な決着シーンだった。

(サンケイスポーツ専属評論家)

●日刊スポーツ 2004年6月29日

川嶋、徳山のV9止めた/ボクシング


写真=1回、川嶋(右)のラッシュでマットに崩れ落ちる徳山(撮影・栗山尚久)


<プロボクシング:WBC世界スーパーフライ級選手権>◇28日◇横浜アリーナ◇1万2000人

 衝撃のKOで世界王者が誕生した。WBC世界スーパーフライ級6位の川嶋勝重(29=大橋)が、9度目の防衛を目指した同級王者・徳山昌守(29=金沢)に1回1分47秒、TKO勝ち。右フックで先制のダウンを奪った直後に連打で2度目のダウンを追加するとレフェリーが試合を止めた。107秒は日本人の世界王座奪取で史上2番目のスピードKO。同級世界戦では最短決着タイムになった。川嶋は試合前に婚約者・工藤環さん(35)と入籍し、自らにプレッシャーをかけながら悲願を達成した。

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。川嶋の視線の先に難攻不落の王者が大の字になっている。新王者はまず思った。「自分が倒されて、夢見ているんじゃないか」。107秒という記録的なKO奪取を、すぐには受け入れられなかった。それほど衝撃的だった。

 1回1分30秒すぎに放った右フック1発で試合は決まった。あごを打ち抜かれた徳山は顔からキャンバスに落下した。カウント8で立ち上がったがひざが揺れていた。川嶋は突進した。夢中で振り抜いた左右フックが再び顔面に決まると、王者は再び背中から沈み、試合は終わった。

 大橋会長が、松本トレーナーがリングになだれ込む。「右フックは狙っていたというより、自然に出たんです。1回はジャブを出して様子を見るつもりだったんですが・・」。それだけ言うと声が詰まった。これまでの苦労が頭をよぎった。涙が止まらない。川嶋は泣きながら笑った。

 この1年間、打倒徳山だけを考えてきた。昨年6月の初挑戦は調整段階で失敗した。練習で腰を痛めて試合前3週間は何もできなかった。後半勝負の作戦だったがスタミナ切れで自滅。悔しさは1年間忘れなかった。自宅のビデオデッキには徳山戦のビデオが入ったまま。何百回も見た。

 新たな武器も身につけた。昨年暮れに2・5キロのハンマーを購入した。練習後、毎日20分間、古タイヤに向かって打ち下ろし続けた。タイヤに当たる直前にハンマーを止める。パンチ力の源の広背筋を強化した。打ち合いに持ち込んで1発で倒すつもりだった。その執念が実った。

 試合直前には自分にこれ以上ないプレッシャーをかけた。都内でアクセサリーショップを営む環さんと午後0時半、横浜市南区役所に入籍届を提出した。今年4月には環さんの両親にもあいさつし、会場にも招待した。本当は「勝って結婚」の予定だったが、自分を奮い立たせるためにあえて試合当日に入籍した。

 29歳8カ月の世界初奪取は、日本人史上3番目のスロー記録。21歳のとき、リングに立つ友人に刺激を受けて大橋ジムに入門した。しかし、プロテスト受験まで1年半もの時間を要した。「センスのない男だった。でも絶対に弱音を吐かない、努力家だった」と大橋会長は振り返った。

 日本のジム所属選手同士の世界戦は67年12月にWBCスーパーフェザー級で小林弘が王者・沼田義明に勝って以降、挑戦者は1分けを挟んで18連続王座どりに失敗していた。その記録を37年ぶりに止めた。初防衛戦は9月ごろに予定されている。「ファンが見て分かりやすいボクシングをしたい。KOで防衛していく」。日本に待望の強打の新王者が出現した。【首藤正徳】

●サンケイ新聞 2004年6月28日

川嶋がTKOで王座奪取 WBCダブル世界戦



1回、徳山昌守にTKO勝ちし雄たけびを上げる川嶋勝重=横浜アリーナ


1回、川嶋勝重のパンチを受け1度目のダウンを喫する徳山昌守=横浜アリーナ


 世界ボクシング評議会(WBC)のダブルタイトルマッチ各12回戦は28日、横浜アリーナで行われ、スーパーフライ級は挑戦者の川嶋勝重(大橋)が、チャンピオンの徳山昌守(金沢)に1回1分47秒でTKO勝ちし、2度目の世界挑戦で王座奪取に成功した。徳山は9度目の防衛に失敗。戦績は川嶋が29戦26勝(18KO)3敗。徳山は34戦30勝(8KO)3敗1分け。

 川嶋は、右フックでダウンを奪い、さらに連打で2度目のダウンを奪うと、レフェリーが試合を止めた。

 ミニマム級はチャンピオンでタイ人選手のイーグル京和(角海老宝石)が挑戦者の小熊坂諭(新日本木村)を8回2分24秒、負傷判定(3−0)で破り、初防衛に成功した。京和の戦績は13戦全勝(5KO)。



 ■川嶋 勝重(かわしま・かつしげ) 97年2月プロデビュー。02年4月に日本スーパーフライ級王座を獲得し、1度防衛。昨年6月、WBC同級王者の徳山昌守に挑み判定負けした。左ボディーブローを軸に迫力ある連打が武器の右ファイター。戦績は29戦26勝(18KO)3敗。千葉県市原市出身。

●読売新聞 2004年6月28日

Sフライ・徳山9度目の防衛ならず、川島が1回TKO

Sフライ級タイトルマッチ第1ラウンド、川島(左)のパンチが徳山に決まり、TKO勝ち


 世界ボクシング評議会(WBC)ダブルタイトルマッチ12回戦(28日・横浜アリーナ)――スーパーフライ級は、同級6位の川島勝重(29)(大橋)が、王者徳山昌守(29)(金沢)を、1回から攻め込み、王者から2度のダウンを奪って1回1分47秒、TKO勝ち。川島は昨年6月以来2度目の挑戦で、世界王座奪取に成功した。

 徳山は9度目の防衛に失敗、日本のジム所属選手では歴代2位タイとなる同一王座連続防衛記録はならなかった。

 川島勝重(かわしま・かつしげ)1974年、千葉県市原市生まれ。21歳で大橋ジムに入門、97年プロデビュー。2002年4月に日本スーパーフライ級王座を獲得、1度防衛して返上。昨年6月の世界初挑戦は、徳山に判定で敗れて失敗。再起後の2連勝で、徳山との雪辱戦が実現した。戦績は26勝(18KO)3敗。

◆初挑戦から1年、必殺の右◆

 わずか1分47秒。川島が「負けて、病院で夢を見ているのか」と思ったほどの速攻劇を生んだのは、この試合初めて、徳山をまともにとらえた大振りの右フック。王者の技巧にあしらわれた初挑戦から1年、練りに練った必殺の右だった。

 この1年、川島陣営は何度も、敗戦のビデオを見返した。悔しさを忘れないためでもあったが、これが再戦で実る。左を打った後にガードが下がる王者の癖に狙いを定め、相手の左に右カウンターを合わせる練習を繰り返した。

 狙い通り、右フックが王者の左顔面にさく裂。左ボディー、右フックを続けて1回目のダウンを奪った。チャンピオンは足をもつれさせながらも立ち上がったが、あとは連打で仕留めるだけだった。

 脱サラして入門した8年前、大橋秀行会長の目に、ボクサーとしての素質は見あたらなかった。それだけに、「世界王者なんて考えられなかった」という努力の人の言葉に実感がこもる。この日、3年間交際していた工藤環さん(35)との婚姻届を提出。生涯の伴侶との門出は、ただ一人の日本人王者としてボクシング界を背負って行く出発の日ともなった。(竹内 誠一郎)

●朝日新聞 2004年6月29日

川嶋が王者徳山に1回KO勝ち WBCダブル世界戦



スーパーフライ級タイトルマッチを制した川嶋勝重

 世界ボクシング評議会(WBC)のダブルタイトルマッチが28日に横浜アリーナであり、1年ぶりの再戦となったスーパーフライ級は同級6位の川嶋勝重(大橋)が、9連続防衛を目指した王者徳山昌守(金沢)を1回KO勝ちで雪辱、初の王座に就いた。ミニマム級は王者イーグル京和(角海老宝石)が日本同級王者の小熊坂諭(新日本木村)を8回負傷判定で下して初防衛に成功した。日本のジム所属の世界王者は2人で変わらず。

▽WBCスーパーフライ級タイトルマッチ12回戦(28日、横浜アリーナ)

川嶋勝重(大橋)52.1キロ TKO1回1分47秒  徳山昌守(金沢)52.1キロ

〈川嶋 勝重〉(かわしま・かつしげ) 74年10月千葉県市原市出身。茂原北陵高では野球部でセンター。アマ選手として大橋ジムに入門し1戦1勝(1KO)。97年プロデビュー。00年12月、東洋太平洋バンタム級王座に挑戦し、敗退。02年4月、日本スーパーフライ級王座獲得、1度防衛。03年6月、WBC同級王者徳山昌守(金沢)に挑戦し、判定で敗れた。164.5センチ。右ボクサーファイター。26勝(18KO)3敗。

●毎日新聞 2004年6月28日

川嶋が新王者に、京和は初防衛 W戦


【徳山昌守・川嶋勝重】一回で徳山を降し、雄叫びをあげる川嶋=横浜アリーナで28日、尾籠章裕写す


【徳山昌守・川嶋勝重】一回、徳山(右)を攻め込む川嶋=横浜アリーナで28日、尾籠章裕写す 


 世界ボクシング評議会(WBC)のダブルタイトルマッチが28日、横浜アリーナであった。WBCスーパーフライ級6位、川嶋勝重(29)=大橋=が、同級王者、徳山昌守(29)=金沢=を1回1分47秒TKOで降し、判定負けした昨年6月以来の再挑戦を実らせて新王者となった。徳山は国内歴代2位タイとなる9連続防衛に失敗し、3年10カ月守ったタイトルを失った。在日タイ人のWBCミニマム級王者、イーグル京和(25)=角海老宝石=は、世界初挑戦の同級5位、小熊坂諭(27)=新日本木村=を8回負傷判定で破り、今年1月に獲得した王座の初防衛に成功した。

【戦評】○川嶋勝重−徳山昌守●
 川嶋が一回、徳山から2度のダウンを奪ってTKO勝ちした。連打とパワーが持ち味の川嶋は、一回1分30秒に徳山の顔面に右フックを浴びせてダウンを奪うと、その17秒後にも左右の連打で徳山をマットに沈めた。徳山は足を使ったアウトボクシングを披露する間もなく終わった。

◇衝撃的なTKOで王座交代
 衝撃的な結末だった。体を沈めた川嶋が前進し、大振りの右フックが徳山のあごを直撃。前のめりに倒れた徳山は、すぐに立ったが足元がおぼつかない。川嶋が左フックから右ストレートをフォローすると、王者はあおむけに倒れていった。
 「夢を見ているみたい。起きたら自分が病院にいるのではないか」。勝った川嶋本人も、信じられない様子だ。8連続防衛中の王者を、わずか1分47秒で沈めたのだ。試合前に「徳山には致命的な欠点がある」と連発していた大橋秀行会長も、「そんな欠点なんてあるわけない」と駆け引きであったことを明かした。
 だが、この1年間、雪辱を目指して研究はしてきた。徳山は左ジャブの引き戻しが遅く、ガードも低い。そこを突く右フックの練習を重点的にしてきた。その狙い通り、ボディー攻撃で相手の気を下に向けさせてから、がら空きの顔面へ右をたたき込んだ。
 一方、徳山は生命線の左ジャブにスピードがなく、距離感も悪くて全く当たらない。「ひざに力が入らず、フワフワした感じだった」と調子が悪かったことを明かした。
 さらに長期防衛からくるけん怠感もあった。防衛を重ねても人気は上がらない。打ち合いを好まない戦法は素人受けせず、在日朝鮮人のため拉致問題での逆風もあった。3カ月前、酒席で「(不人気は)一般の人は打ち合いを好むし、僕が日本人ではないからかも。もう、いつやめてもいい」と吐き捨てたこともあった。自身初のKO負けを喫し、試合後はサバサバした様子で「肩の荷が下りた? そんな気持ちもあります」と寂しそうにつぶやいた。
 「自分にプレッシャーをかける」と試合前に婚姻届を提出し、この試合に男の意地をかけた挑戦者と、戦う気持ちに陰りが出ていた王者。同い年の両者の1年ぶりの再会は、川嶋が強引にベルトを奪い取った。【来住哲司】
 ▽川嶋 右のフックが当たったと思う。まだ本当に夢見てるみたいで信じられない。判定でも何でも勝てればいいと思っていた。自然に体が動いてくれた感じ。

 ○…この日、川嶋の妻となった環(たまき)さん(35)がリングサイドで観戦し、結婚と世界王者奪取という二重の喜びを味わった。正午ごろに横浜市内の区役所で結婚の手続きを済ませ、ガッツポーツをし合って送り出したという。昨年6月の挑戦は腰痛が響いて判定負けしただけに「やってくれるかなと思ってこの日に決めた。試合は早すぎて分からなかった。うれしい」と笑顔を見せた。
 【略歴】川嶋勝重(かわしま・かつしげ) 74年10月6日生まれ。千葉県市原市出身。千葉・茂原北陵高時代は野球部。高校卒業後に会社員となり、21歳で脱サラして大橋ジムに入門。97年2月にプロデビュー。東日本スーパーフライ級新人王を経て02年4月、佐々木真吾(木更津グリーンベイ)に判定勝ちして日本同級王座を獲得(1回防衛)。昨年6月、WBC同級王者の徳山昌守(金沢)に挑戦したが、判定負け。プロ戦績は29戦26勝(18KO)3敗。右ボクサーファイター。

WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ

2004年6月28日(月)午後2時45分開場 午後3時試合開始(横浜アリーナ)

チャンピオン 徳山 昌守 12R 世界9位 川嶋 勝重(大橋)

WBC世界ミニマム級タイトルマッチ

チャンピオン イーグル京和 12R 世界6位 小熊坂 諭

日本スーパーフライ級タイトルマッチ

チャンピオン 川端賢樹 10R 日本4位 有永 政幸(大橋)

6.22 川嶋さんがいつものように信介に会いに来てくれました。私は生憎不在だったのですが、妻の話によると体調は万全だと自信に満ちておられたようです。前回のようにトランクスに信介のイニシャルが入っているかどうかは分かりませんが、イニシャルがあろうがなかろうが川嶋さんの気持ちが有り難くて、どう申し上げて良いか、言葉になりません。信介には全力で後押しするように遺骨に頼んでから、会場に参りたいと思っております。あいつの熱い思いが半歩でも川嶋さんの進む力になればと願って止みません。川嶋さん、人生を賭けた大勝負は誰でも出来るわけではありません、その大勝負を楽しみながら、夢をその手に掴んで下さい。(管理人)

5.31 本日、お願いしてありました試合のチケットの購入に大橋ジムへ行って来ました。ちょうど川嶋さんがスパーリングをされていました。会長や奥様のお話では、前回とは違って、故障もなく体調は万全だとのこと。前回の同時期にもお伺いしたのですが、その時は腰を痛めて練習を休んでいると私には本当のことを言ってくれましたので、今回は仕上がりは順調だと思います。身体の切れもよく、自信に満ちあふれた顔で「試合前にまたお線香をあげに伺います」、また笑顔で「必ずベルト持ってゆきますから」と言ってくれました。川嶋さんの命懸けの、人生を賭けた大勝負を信介と共に見届けたいと思っております。おこがましいとは思いますが、信介が戦うような気がして、今からドキドキしております。あと4週間、ベストコンディションで戦いに臨むことが出来るように祈るばかりです。(管理人)

川嶋さんの世界再挑戦のポスターができ、頂戴いたしましたので掲載いたします。会場に足を運んで、川嶋さんを応援していただけましたら幸いです。(管理人)

S-RS ¥50000 RS ¥30000
指定席A ¥20000 指定席B ¥10000 2階指定席 ¥10000 自由席 ¥5000

主催 大橋ジム

後援 日刊スポーツ新聞社
協賛 テレビ東京

お問い合わせ 大橋ジム 045-451-1994

大橋会長ご夫妻が信介の命日(3月8日)に弔問に来て下さり、川嶋さんの世界再挑戦が決まったと話してくれました。来る6月28日(月)横浜アリーナでWBC世界王者徳山昌守選手との再戦です。前回は試合2週間前に腰を痛め、殆ど練習できずにリングに上り、あれだけの善戦をしたのですから、今度は、ベストコンディションで戦うことが出来れば、必ずや夢が実現するものと信じております。(管理人)

●サンケイスポーツ2003年10月19日

川嶋は不本意な判定決着

 プロボクシングのノンタイトル10回戦(18日、後楽園ホール)。4カ月ぶりの再起を果たした川嶋は不本意な判定決着。ボディー攻撃で圧倒しながら「相手がタフでもKOしなければ(100点満点で)40点」。6月の世界初挑戦では徳山に0−3の大差判定負け。激しい腰痛で試合直前の3週間、ほとんど体を動かせず、悔いが残った。「もう一度、万全の体調で世界をやらせたい」と大橋会長も、再スタートを切った。

▼10回戦(バンタム級)
川嶋 勝重(大 橋)53・0キロ ○ 判定  ● 廬 昊 燮(韓 国)53・0キロ

戦績 27戦24勝(16KO)3敗

応援してきました。一方的な試合で、判定は100-91, 100-90, 100-90の圧勝でした。いつものように試合の1週間前に信介に会いに来て頂いて、川嶋さん、ありがとうございました。「夢」と「S.T」の白い刺繍が入った黒のトランクスは何度見ても目頭が熱くなります。次のチャンスを目指して頑張って下さい。(管理人)

2003年6月23日(月)横浜アリーナ

星野敬太郎世界再挑戦(ミニマム級)とのダブルタイトルマッチ
開場 14時
前座試合開始 15時

S-RS ¥50000 RS ¥30000
指定席A ¥20000 指定席B ¥10000 自由席 ¥5000

主催 大橋ジム
フォースインターナショナル

後援 日刊スポーツ新聞社
協賛 テレビ東京

お問い合わせ 大橋ジム 045-451-1991
フォースインターナショナル 0120-12-5963
金沢ジム 06-6752-8621

●日刊スポーツ2003年6月24日

徳山V7!連続防衛単独3位/ボクシング

<WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦>◇23日◇横浜アリーナ◇観衆1万人

 WBC世界スーパーフライ級王者徳山昌守(28=金沢)が7度目の防衛に成功し、統一戦実現へ大きく前進した。試合途中に左中指を痛めるアクシデントも老かいな技術で、世界初挑戦の同級5位川嶋勝重(28=大橋)に3−0で判定勝ち。防衛回数7は日本のジム所属王者として歴代単独3位になった。またWBC世界ミニマム級戦王座に挑んだ同級9位星野敬太郎(33=花形)は、12回2分15秒TKOで王者ホセ・アントニオ・アギーレ(27=メキシコ)に完敗した。

川嶋負けても「世界は近い」/ボクシング

 川嶋は落ち込んではいなかった。採点に不満はない。敗北には納得している。その上で言った。「世界はこんなに近いんだと感じました」。最終回まで前進し続けた。左右のパンチを振り回し王者に肉迫した。勝利こそ逃したが、力は出し切った。

 「今日リングに立てただけで奇跡」。試合後、大橋秀行会長が明かした。4週間前に右ふくらはぎを痛めて1週間練習を休んだ。復帰した直後にぎっくり腰になり再び2週間休んだ。「靴下もはけなくなった」(川嶋)。必死の前進は気力だけが支えていた。再挑戦に関しては「ゆっくり考えます」と川嶋は慎重だったが、大橋会長は「できるだけ機会をつくりたい」と話した。

●スポニチ2003年6月24日 

川嶋 世界は近い

 世界初挑戦は失敗に終わった。敗戦を伝えるアナウンスが場内に流れると、獅子頭のような川嶋の顔を悔し涙が流れた。「強いというイメージは何にもなかった。負けは認めますが、世界がこんなに近いんだなと実感できました」。オーバーワークから試合の4週間前に右ふくらはぎを痛め、3週間前にはぎっくり腰を患った。休養を余儀なくされた空白の2週間は世界レベルでは命取り。8回に2度のスリップダウンを喫したように勝負どころの終盤に王者を追い詰めるあと一歩が出なかった。試合後「大丈夫?」と顔を指さす徳山には「パンチはそんな効いてなかったで」と笑顔で応酬。8年目の世界初挑戦は次につながる手応えを両拳に残した。

●サンケイスポーツ2003年6月24日

★川嶋「負けは認める」

 世界初挑戦の川嶋は、序盤から腕をブンブン振り回して徳山に挑みかかった。王者の右目周囲を腫らせる大健闘だったが、無念の判定負け。「パンチは効かなかったし、強いイメージはないけど、負けは認める」と悔しさをにじませた。4週間前に右ふくらはぎ肉離れし、2週間前にスパーーリングをこなせるまでになったものの、ぎっくり腰になる悪夢。でも、最善は尽くした。「手応えのあるパンチはあったし、世界は近いと感じた」と胸を張った。

◆前WBC世界バンタム級王者・辰吉丈一郎 「勝負は時の運。どっちが勝ってもおかしくなかった。徳山君はまだまだ防衛するだろうし、防衛してもらいたい」

リングサイドで応援しましたが、川嶋さんがリングに上がった時には、「息子を世界戦の舞台に連れて来てくれたんだ」と思うと堪えきれずに涙が流れました。結果は負けですが、右足と腰を痛め満足に練習できない中、文字通り歯を食いしばっての戦いでした。全力を尽くしているのは誰もが感じ取っていたと思います。悔しくって、判定結果のアナウンスの後、直ぐに会場を出ましたが、悔しいのは誰あろう、川嶋さん自身だと思います。燃え尽きるまで前進して欲しいと願っています。何事においても「成功するまで諦めない」ことが一番の成功の秘訣だと思っています。川嶋さん、大橋会長、ありがとうございました。(管理人)

●サンケイスポーツ2003年6月19日

挑戦者・川嶋が世界ベルトを捧げる相手


 プロボクシングWBC世界Sフライ級タイトルマッチ(23日、横浜アリーナ)で世界初挑戦の挑戦者・川嶋勝重(28)が18日、横浜市内の大橋ジムでスパーリングを公開。元WBA、WBC世界ミニマム級王者・大橋秀行会長(37)が世界を奪った直伝の左ボディーアッパーを炸裂させた。将来を誓い合った同居中の恋人へ、志半ばで事故死したジムの後輩へ。心を支えた人たちにベルトをささげる約束を果たすときがやってきた。


〔写真:公開練習で必殺技を披露した川嶋=右〕

 信念があるから、隠すこともない。王者陣営の金沢英雄会長(55)が偵察に訪れる中、川嶋がウイニングショットをさらけだした。腰下方の死角から、うなりをあげる左ボディーアッパーだ。

 90年2月、大橋会長が王者・崔漸煥(韓国)に挑んだ9回、このパンチでダウンを奪い、KOで王座を奪取した直伝の一発。急所の肝臓にめりこませる一撃は、相手を悶絶させる。川嶋は「ボディー攻撃で(王者の)足を止められれば、後半倒して勝てる」。

 出陣の儀式も終わった。3年前、営団地下鉄日比谷線の脱線事故で逝ったジムの後輩、富久信介さん(当時麻布高2年)の仏前を前日に訪ねた。高校にたった1人でボクシング部をつくった富久さんの手ほどきをしていた川嶋は、最も慕われた先輩。試合用の黒地トランクスには、富久さんのイニシャル「S・T」をシルバー色で刺繍した。「ベルトを(墓前に)持ってくる約束は必ず守る」と手を合わせ、プロを目指していた後輩とともに舞台に立つ。

 ベルトを奪取すれば、昨年3月から同居生活をスタートさせた恋人、工藤環(たまき)さん(34)と入籍、挙式することも決めている。環さんが食事の世話をしてくれるおかげで、リミット(52.1キロ)まで1.6キロと順調に落ちている。

 「支えてくれた人のために、ベルトがほしい」。苦しくなったとき、川嶋には思い浮かべる顔がある。

(奥村 展也)

●スポニチ2003年6月19日

 ≪川島好調“伝家の宝刀”左ボディー≫
徳山陣営の揺さぶりにも挑戦者・川嶋は冷静だ。2回の公開スパーリングでは大橋会長がWBA、WBCの両世界ミニマム級王座を獲得した“伝家の宝刀”左ボディーの連打で6回戦の新田俊明(大橋)を子供扱いした。「1ラウンドからガンガン前に出て必ず後半に倒して勝ちます」。2度の静岡・伊東合宿では通算300キロ以上を走り込んで持久力を徹底強化。スタミナ面に不安を残す王者に消耗戦を挑む。

●スポーツ報知2003年6月19日

川嶋 左ボディーで奪取

23日 プロボクシングダブル世界戦

 挑戦者・川嶋勝重(大橋)が、師匠直伝の左ボディーでベルトの奪取を宣言した。王者・徳山昌守(金沢)に挑戦する川嶋は18日、横浜市内のジムで公開スパーリングを行った。パートナーに対し、接近してからキレのいいボディーブローを浴びせ、本番での作戦を惜しげもなく披露。元世界ミニマム級王者の大橋秀行会長(38)から譲り受けた必殺ブローで、消耗戦を仕掛ける。

公開スパー

公開スパーリングでパートナーを圧倒した川嶋(左)

 上半身を小刻みに左右に振り、一気に懐へ飛び込んだ。間合いを詰めた川嶋は、次の瞬間、左のこぶしをパートナーの腹部にのめり込ませた。体のキレ、パンチのスピード、すべて申し分はなかった。「コンディション? 絶好調です。特にボディーブローに重点を置いて練習した。手応えは十分です」これさえ決まれば倒して勝つ自信はある。
 ジャブを突きヒット・アンド・アウエーの徳山に、パンチをまとめて当てるのは至難の業だ。距離を取った戦いでは勝負にならない。徹底した接近戦を仕掛け、懐に飛び込んでボディーブローを打つ。「1回からガンガン前に出て飛ばしていく。後半勝負でしょう」ジワジワとダメージを与え終盤には倒して勝つことも宣言した。
 左ボディーの名手といえば師匠・大橋会長だ。現役時代の90年2月、この一発のパンチで王者を沈め、世界の頂点に上り詰めた。大橋会長は入門直後から川嶋にこの技を伝授。「直伝のパンチで最後に笑うのはこっちです」と断言する。
 前日(17日)は、3年前の地下鉄脱線事故で死去したジムメートの富久信介さんの遺影に「ベルトを見せに来る」と約束。同せい中の恋人・工藤環さん(34)とはタイトル奪取で入籍と、モチベーションは高い。(近藤 英一)

●日刊スポーツ2003年6月19日

川嶋公開スパー、徳山をKO宣言

 WBC世界スーパーフライ級5位川嶋勝重(28=大橋)が、KO宣言した。王者徳山への挑戦を控える川嶋は18日、横浜市内の大橋ジムで練習を公開。偵察した金沢ジムの金沢英雄会長(57)の目の前で2回のスパーリングを披露し、通算100回のスパーリングを打ち上げた。「ボディーブローに重点を置いて王者の足とスピードを止めたい。初回からガンガン前に出ていく。勝算? 100%あります」。7度目の防衛戦を迎える王者をKOで仕留めると宣言した。

 徳山に徹底的にマークされている左ボディー攻撃だが、川嶋に作戦を変えるつもりはない。堂々と接近戦を挑んで、左ボディーで勝負に出る。現役時代のフィニッシュブローを伝授した元WBA、WBC世界ミニマム級王者の大橋秀行会長(38)は「スタミナを奪う。足を止める。とどめを刺すの3種類がある。カウンター攻撃への対処も練習済み」と話した。ボクシング未経験のままサラリーマン生活を捨てて大橋ジムに入門。プロデビューしてから6年4カ月の挑戦者は「後半に必ず倒して勝つ」と、左ボディーを信じて一直線に突き進む。【桐越聡】

川嶋さんが、いつものように信介の霊前にお参りしてくれました。「信介、チャンピオンベルトを持ってくるからな」と遺骨に声をかけてくれました。自信に満ちた口調で「絶好調だ」と仰ってましたので、きっと夢をその手に掴まれると信じております。ほんの少しでも信介が川嶋さんの力になれば、と願うばかりです。(管理人)

●朝日新聞・夕刊2003年5月26日

遺志胸に世界挑戦

ー 日比谷線事故で犠牲の高校生ボクサー ー

ジム先輩・川嶋選手 トランクスに「S.T」

 3年前、地下鉄事故で亡くなった高校生ボクサーの「心」が、プロボクシング世界戦のリングに上がる。ジムの先輩、川嶋勝重選手(28)が、世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級タイトルマッチ(6月23日、横浜アリーナ)で、トランクスに故人のイニシャル「S.T」を入れて王者に挑戦する、

 00年3月8日、営団地下鉄日比谷線の中目黒駅近くで列車が脱線衝突し、乗客5人が亡くなった。一番若かったのが、麻布高2年の富久信介さん(当時17)だった。

 川嶋選手の所属する大橋ジム(横浜市)に、富久さんが通い始めたのは高校1年の時。進学校に1人でボクシング部をつくり、練習熱心だった。

 そんな後輩の姿に、川嶋選手は注目した。「左フックを打つとき腰をどう入れるかなど、細かいところまで質問してきた」。スパーリングの相手もした。「ガンガン向かってきた。器用ではないがパンチが強くプロ向きと思った」と将来を期待した。

 事故後、川嶋選手は試合前に富久さんの自宅を訪ねて勝利を誓うようになった。日本王座獲得。初防衛成功。そして世界挑戦とトップボクサーへの階段を上った。世界戦に向け、「頑張っていた後輩を、ボクシングで最高の場所へ連れていきたい」。トランクスに富久さんのイニシャルを入れることにした。

 富久さんの父、邦彦さん(56)は「ポスターを見てイニシャルが入っているのに気づいた。妻と2人、涙で言葉が出なかった。ベストコンディションで実力を発揮してほしい」。当日は会場で息子の遺影と一緒に川嶋選手を応援する予定だ。

川嶋さんが世界戦のポスターを私の自宅に届けてくれたのですが、イニシャルのことは一言もおっしゃらなかったので、その時は気づかず、お礼も申し上げてません。川嶋さんが帰った後で、トランクスに信介のイニシャルを見つけて感動で言葉が出ませんでした。川嶋さんの男らしい人柄がしのばれます。(管理人)

●スポニチ2003年5月17日

徳山攻略へ“カワシマ”タッグ


川嶋(左)に世界獲りの秘策を授ける川島氏。中央は大橋会長

 来月23日、WBC世界スーパーフライ級王座に挑戦する川嶋勝重(28)が16日、静岡県伊東市での第2次合宿に元WBC世界スーパーライト級王者・川島郭志氏(33)=川島ジム会長=を臨時コーチに招き、日本が生んだ世界王者の中でも屈指といわれるディフェンス術などを伝授された。川島氏は王者・徳山昌守(28)とも旧知の仲。昨秋にはペニャロサ(フィリピン)との6度目の防衛戦を前に臨時コーチを務めたこともあるが、今回はヨネクラジムの先輩、大橋秀行会長(38)に口説かれて川嶋陣営入り。7度目の防衛に失敗した経験などを基に王者の“心のすき”などをアドバイスした。
 「距離を詰めてコンビネーションを出せれば、チャンスはある。1ラウンドからガツンといって“オヤッ”と思わせるのもいい」と言う川島氏に川嶋は「向こうにはプレッシャーになるでしょうね」とニヤリ。徳山攻略に自信を見せていた。

●日刊スポーツ2003年3月7日

川嶋、事故死の“弟”に世界王座捧げる!

 亡き後輩にチャンピオンベルトをささげる! プロボクシングのWBC世界スーパーフライ級5位川嶋勝重(28=大橋)が6月23日、横浜アリーナで同級王者徳山昌守(28=金沢)に挑戦する。6日、都内で開かれた会見で正式発表された。デビュー丸6年の川嶋は初挑戦。00年3月8日の営団地下鉄日比谷線の脱線衝突事故で亡くなった富久信介さん(享年17)にささげる王座獲得を宣言した。

 静かに目を閉じた川嶋が、遺影に向けて両手を合わせた。5日の午後8時すぎ、横浜市内に住む富久さんの遺族を訪ねた。「世界戦が決まった。今回も見に来いよな」。都内の名門麻布高の2年生だった大橋ジムの後輩は、3年前の地下鉄日比谷線の脱線衝突事故で命を落とした。これまでも試合の約1週間前には遺影に向かってきた川嶋だが、今回は初の世界戦。発表前夜、信介さんと両親には、報告しておきたかった。

 00年3月8日、働いていた酒屋の配達の途中に事故を知った。「ラジオで「トミヒサ」という名前を聞いて、まさかと思った」。夕方、半信半疑のまま到着したジムには大勢の報道陣が殺到していた。「気持ちが強くて、一生懸命な高校生だった」。積極的にパンチの打ち方を聞いてくる富久さんを弟のようにかわいがった。アトピー性皮膚炎の発症を抑えるため、持参した水筒のアルカリイオン水を飲む姿は、今でも思い浮かぶ。

 当時、日本ランクに入ったばかり川嶋は。昨年4月に日本王座を獲得するなど、地道に努力を重ねて初の世界戦の機会を得た。プロを目指していた富久さんの無念を思い戦ってきた。世界戦用に新調したトランクスには富久さんのイニシャル「S・T」を縫い込んである。富久さんの父邦彦さん(56)は「川嶋さんの思いやりのお気持ちと真の男気に妻ともども感動した。信介の熱い思いが、川嶋さんを後押ししてくれれば、と祈るばかりです」と涙ぐんだ。

 遺影に向けた決意表明から一夜明けたこの日、川嶋は都内の会見場に用意されたひな壇にスーツ姿で座った。徳山はWBA王者との統一戦も視野に入れる強豪。大橋会長は「歴史に残る王者に勝つのは、現時点では非常に難しい」と分析し、川嶋は闘争心を抑えて「通用するかは分からない。胸を借りるつもりで、すべてを出し切りたいと思う」と穏やかな表情で話した。

 だが、本心は違った。ひな壇から降りると「勝たなければならない」と繰り返した。徳山は川嶋が苦手とする足を使うタイプではなく、接近戦でボディーをえぐって後半勝負との戦略も描ける。「彼もどこかで見てくれている。応援してくれる人たちの気持ちに応えたい」。遅咲きの28歳は同学年の安定王者に真っ向勝負を挑む。


写真=川嶋は3年前の地下鉄日比谷線事故で亡くなった富久信介さん宅を訪れ、仏前に手を合わせた

大橋会長、ジム開設10年目の世界初挑戦

 元WBC、WBA世界ストロー級王者の大橋秀行会長(37)は、会長として初めて世界戦を迎える。網膜裂孔(もうまくれっこう)で2度手術していた左目に外傷性眼循環障害が起きたために引退し、94年2月に、28歳で横浜駅近くにジムをオープンした。開設当時は「3年で日本、5年で世界王者」と豪語していたが、9年目での初挑戦実現に「早いと言えば早いけど、ちょうどいいかな」。

 「まじめで努力家の川嶋」を大事に育ててきた。川嶋は勤務先の仕事を辞めて21歳で大橋ジムに入門したが、アマチュアの試合に出場させるなど、プロテストの受験まで1年以上は練習に専念させた。過去、日本のジムの「師弟世界王者」は花形ジムの花形進会長と星野敬太郎の1組だけ。富久さんの命日の8日は大橋会長の38歳の誕生日。「富久にお願いしてきますよ」と話していた。


徳山、川嶋を警戒「一番苦手なタイプ」

 徳山は会見時間に約10分遅れて到着した。スーツ姿の挑戦者とは対照的に王者らしく? ラフな格好のまま「すいませ〜ん」と明るく笑顔で登場。「結婚して弱くなったとは言わせないためにも、横綱相撲で勝ちたい」と言葉に力を込めた。言葉とは裏腹に表情は緩みっぱなし。9日に都内で仁淑夫人との挙式を迎え「ようやくハングル語の宣誓文が完成した」と準備に追われる毎日だ。「会見の正確な日時は今初めて知った」とも話した。

 川嶋とは昨夏の5度目の防衛戦直前の公開スパーリングで1度だけ対戦した。「スパーリングを見た人は『楽勝だろ』とか言うけど、1番苦手なタイプ。間違いなく激しい試合になる。ふんどしを締め直さないとヤバイ」と警戒を強めた。左拳の痛みは消えたが、6度目の防衛戦直前に痛めた右ヒジにまだ不安が残る。本格的な練習再開は、挙式が終わって落ち着く4月上旬を予定している。

●スポーツ報知2003年3月7日

川嶋天国へベルト捧げる

6・23徳山の世界Sフライ級王座挑戦

 挑戦者・川嶋勝重(大橋)が亡きジムメートにベルト奪取を約束した。チャンピオン徳山昌守(金沢)の7度目の防衛戦は6月23日に横浜アリーナで行われることが6日、都内で正式発表された。日本ボクシング界ただひとりの現役王者・徳山に挑む川嶋はジムでともに汗を流し、3年前に地下鉄日比谷線の事故で不慮の死を遂げた富久信介さん(当時麻布高2年=享年17歳)に勝利をささげることを誓った。

3年前・日比谷線事故で死亡の後輩・富久さんのために

 ビシッとスーツの川嶋(右)とラフなジャージーにベルトを持って会見に臨んだ徳山  見えない力が川嶋に勇気を与えた。安定政権を築きあげる徳山の実力をしっかり認めながらも負けてはいなかった。「自分にとってはやりづらい相手ではない。ジャブをかいくぐって中に入り、ボディーを攻めて後半に勝負をかけたい」自分のため、そして天国で吉報を待つ富久さんのためにリングに上がる。
 「きのう(5日)もご両親に会ってきた。彼もどこかで見ていてくれるでしょう。その気持ちにこたえたい」8日の3回目の命日を前に横浜市内の富久さんの自宅を訪ねた。プロボクサーを目指し休むことなくジムに通っていた後輩の遺影を前に念願の世界挑戦を報告。次に来る時はチャンピオンベルトを手に勝利を分かち合うことも約束した。
 昨年8月、世界戦を前にした徳山のスパーリングパートナーを務めた経験が、タイトル戦への大きなプラス材料となっている。「今までは想像の世界だったが、実際グラブを合わせることでスピードやリーチなどすべてが分かった」と自信を深める。ジム開設10年目で初めて世界戦にまな弟子を送り出す大橋秀行会長は、「徳山くんの実力にはお手上げ」と持ち上げながら、最後は「徹底的に分析した。自信はあります」という。トランクスには富久さんのイニシャルを縫い込みリングに上がる川嶋を、天国から後押しするに違いない。(近藤 英一)


◆川嶋 勝重(かわしま・かつしげ)
 1974年10月6日、千葉・市原市生まれ。28歳。茂原北稜高卒業後に入門。97年2月にプロデビュー。一昨年8月に元世界王者ヨックタイ・シスオー(タイ)を破り世界ランク入り。昨年4月に日本王座を獲得し初防衛後に返上。身長164センチの右ファイター。
◆地下鉄日比谷線事故
 2000年3月8日午前9時ごろ、営団地下鉄日比谷線中目黒駅付近で下り電車が脱線し、上り電車と衝突。富久さんら乗客5人死亡、64人が重軽傷を負う大惨事となった。
 

◆徳山「横綱相撲で勝つ」
 日本ジム所属王者としては史上3位となる7連続防衛に向け王者・徳山も気合十分だ。9日には都内のホテルで昨年12月25日に結婚した崔仁淑さん(28)との披露宴を行うが「結婚して弱くなったと言われないためにも横綱相撲で勝つ」と勝利宣言した。27日からは福井・永平寺で座禅など3泊4日の精神修行を行い、4月上旬、鹿児島・奄美大島で1週間の走りこみキャンプを行う。
 日本ジム所属選手同士の世界戦は今回で14回目。過去13回は王者の12勝1敗でデータ的にも有利だが「ふんどし締め直してやります」と冷静なチャンピオンに油断はない。

●サンケイスポーツ2003年3月7日

徳山に挑戦!川嶋、天国の富久さんにV誓う

 日本勢ただ1人の世界王者・徳山昌守(28)が6月23日に7度目の防衛戦を行うことが6日、正式発表された。挑戦者は前日本Sフライ級王者で世界初挑戦の川嶋勝重(28)。日本のジムに所属する選手同士の世界戦は通算18度目となる。
 川嶋は00年3月に営団地下鉄日比谷線事故で亡くなった富久信介さん(当時麻布高2年)が通っていたジムの先輩。5日に富久さんの父・邦彦さん(57)と母・節子さん(55)を訪れた川嶋は「彼も天国から下りてきて、一番近いところで見守ってくれるはず。やりますよ」と拳を握り締めた。

〔写真:チャンピオンベルトを肩にかけポーズをとる徳山(左)と、王座奪取を期す川嶋〕

川嶋勝重選手、6月に世界挑戦!!!

川嶋勝重選手の世界挑戦が決まりました。来る2003年6月に世界チャンピオン徳山選手に挑戦します。詳細は3月6日の調印式と記者会見で発表されます。

昨年2002年末に大橋会長から世界挑戦が内定したと連絡を受けた時に、私が戦うわけでもないのに胸が高鳴り、興奮を憶えた。信介が尊敬していた兄貴だから、何だか信介が戦うような気がして、不安と期待で落ち着かない。あの世から信介も全身で応援していると思います。上り調子の、いわばピークに近い川嶋さんです。徳山選手は無論、強敵ですが、「男子三日会わざれば刮目して待つべし」です。川嶋さんはボクシングを離れれば、物静かで常識豊かな社会人ですが、胸に秘めた熱い思いがたゆまぬ努力とひたむきな生き様を後押ししているのだと思っています。全力で悔いのない試合をして、夢をその手に掴まれるよう、心から信介と共に応援しております。(2003.2.27 管理人)

今夜、日刊スポーツの取材を受けました。練習を終えた川嶋選手も一緒でした。7日の新聞に掲載されますが、無論、川嶋選手が主役です。刷り上がったばかりのポスターを頂きました。S.Tと信介のイニシャルが入っているトランクスを着ている川嶋さんの写真に、川嶋さんの真の男気を感じて、感動で涙を禁じ得ませんでした。あいつが世界戦を戦うような気がして、この気持ちをどう表現していいか、言葉が見つかりません。信介が高1で大橋ジムに入門した時は川嶋さんはまだ日本ランカーではなかったそうです。事故死した高2の3月頃は日本ランキング下位だったように思います。あれから、たった3年で世界ランク上位になり、今度は世界挑戦です。着実に実力を伸ばしてきており、昨日よりも今日、今日よりも明日と、ひたむきな努力を基に、確実に強くなってきています。キャリアも20戦以上と十分で、プロ10戦足らずで挑戦するシンデレラボーイとは違います。あと3ヶ月、一段と強くなった川嶋さんを観るのが楽しみです。ベストコンディションでリラックスして、ただ「勝つ」という気持ちだけは強く持って、全力で戦うことが出来るように、願っております。実力さえ出せれば、結果は自ずとついてくると信じております。6月23日(月)、横浜アリーナで行われます。詳しいことは7日の日刊スポーツをご覧下さい。(2003.3.5 管理人)

●産経新聞2002年4月21日朝刊

川嶋、判定で王座奪取 ー 日本スーパーフライ級タイトルマッチ

プロボクシングの日本スーパーフライ級タイトルマッチ10回戦が20日、東京・後楽園ホールで行われ、挑戦者・川嶋勝重(大橋)が異色のチャンピオン・佐々木真吾(木更津グリーンベイ)を2−1の判定で破り、新王者となった。川嶋は手数で劣ったが、有効打で上回り、微妙な判定で王座奪取。2000年3月8日に営団地下鉄日比谷線脱線事故で亡くなった当時のジムメート・富久信介くん(享年17歳、麻布高)に悲願のベルトをささげた。

日本スーパーフライ級タイトルマッチ10回戦
川嶋勝重(大橋)52.1キロ 判定 佐々木真吾(木更津グリーンベイ)51.5キロ

天国のジム仲間にささげる勝利  日比谷線事故で死亡ー

普段は仲よしでスパーリングも行う2人が闘志をむき出しにして打ち合った。2−1、小差の判定で「新王者・川嶋」がコールされる。
ジム開設8年目で初の日本チャンピオンを誕生させた元WBA、WBC世界ミニマム級王者の大橋秀行会長は「中盤で右のこぶしを骨折したみたい。でも、最後まで誰にも言わなかった。すごい根性だ」とまな弟子を褒めた。
「(負傷を)言ったところでリングからは下りられない。言った時点で負けだと思った。今後はもっと手数を多くしたいと思います」

夢を継承...「次は世界王者だ」

新王者となった川嶋は、勝利の余韻に浸る間もなく次なる目標を掲げた。同時にそれは天国の富久信介くんに対する新たな誓いでもあった。
2年前、死傷者69人を出した営団地下鉄日比谷線脱線事故。当時、プロボクサーを目指し、大橋ジムに通っていた富久くんも事故に巻き込まれ、命を奪われた。川嶋にとっては将来の世界王者を夢み合う、スパーリング相手だった。
1週間前には自宅を訪ね、遺骨に線香を供えて、この日の必勝を期した。会場には富久くんの父・邦彦さん(56)も駆けつけ、涙を浮かべながら新王者を祝福した。
「彼(富久くん)はよくアドバイスを求めてきて、パンチの打ち方も教えたんです」
富久くんが果たせなかった世界王者の夢。その無念を川嶋が必ず晴らす。

●スポーツ報知2002年4月21日

川嶋判定勝ち大橋ジム日本王者第1号
プロボクシング ダイナミックグローブ
報知新聞社後援

 挑戦者・川嶋勝重(27)=大橋=が壮絶な打撃戦を制しタイトル奪取に成功した。公務員ボクサーの日本スーパーフライ級王者・佐々木真吾(30)=木更津GB=と序盤から激しい打ち合いを展開。手数の佐々木に対し有効打で勝り2―1の判定で死闘を制した。元世界ミニマム級王者・大橋秀行(37)が会長を務めるジムから第1号の王者となった。川嶋の戦績は21勝(14KO)2敗、初防衛に失敗した佐々木は16勝(12KO)3敗1分け。


挑戦者の川嶋(右)は、佐々木に有効打を
決めタイトル奪取に成功した
 頑張って我慢した分だけ感動は大きかった。2―1の採点が場内に響きわたると、川嶋はリングに大の字になりベルト奪取を喜んだ。「自分の最初の夢がかなった。最高です」新チャンピオンの顔をくちゃくちゃ。立っているのがやっと。それほどの死闘だった。

 離れてはストレート、接近してアッパー、フックをボディー、顔面へと激しく交換。初回からの打ち合いに場内は総立ちだ。4回、右こぶしを痛めるアクシデントに見舞われたが手を出し続け、佐々木とともに最高の10ラウンドを戦い終えた。
 亡きジムメートも川嶋を後押しだ。2000年3月、地下鉄・日比谷線の事故で死去した当時・麻布高2年・富久信介さん(享年17歳)のためにも勝ちたかった。1週間前、遺影に「力を貸してくれ」と手を合わせた川嶋の応援にかけつけた富久さんの父・邦彦さん(55)は、新チャンピオン誕生に涙を流し喜んだ。
 大橋ジム開設8年目にして初の王者誕生。「3年で日本王者と思っていたが少し時間がかかり過ぎた。だが、ほっとしている」と大橋会長。そして「これからもっと経験をつませて本当の世界ランカーになってから世界を狙わせたい」イキのいい一番弟子に大きな期待を込めた。(近藤 英一)

●日刊スポーツ2002年4月21日

川嶋、大橋ジム初の日本王者/ボクシング
<日本Sフライ級王座戦>

◇20日◇東京・後楽園ホール◇観衆2000人
 WBA世界スーパーフライ級9位川嶋勝重(27=大橋)が、王座を奪取した。川嶋は、日本同級王者佐々木真吾(30=木更津グリーンベイ)と激しい打撃戦を演じ、2−1の判定勝ち。元世界王者大橋秀行会長が94年に同ジムを創設して以来、8年目にして初の日本チャンピオンとなった。川嶋は23戦21勝(14KO)2敗。佐々木は20戦16勝(12KO)3敗1分け。


(写真=6回、川嶋(右)は佐々木に強烈な
右クロスカウンターを放った(撮影・中島郁夫))
 大橋ジム開設8年目に悲願の新王者誕生。判定で勝利を告げられると師弟はリング上で涙を浮かべて喜び合った。初回から続いた打撃戦は、佐々木の手数に対し、破壊力ある川嶋の有効打が上回った。

 「KOを狙っていたけれど、佐々木さんの気力がすごくて倒せなかった。手数で負けたかなと思った」と川嶋は苦しい戦いを振り返った。ジム開設当時「3年で日本、5年で世界王者」と豪語していた大橋会長は「まじめで努力家の川嶋が夢をかなえてくれたことが一番うれしい」と話した。

 会場には、00年3月に地下鉄日比谷線の事故で亡くなったジムの後輩、富久信介さん(当時高校2年)の遺族も応援に駆けつけ「あの子も喜んでいるでしょう」と感激していた。

●サンケイスポーツ2002年4月21日

川嶋が王座奪取…亡きジムメートにV捧げる

 日本Sフライ級タイトルマッチ10回戦(20日、東京・後楽園ホール)、挑戦者・川嶋勝重(27)が右ストレートを確実にヒット、異色の公務員王者・佐々木真吾(30)を2−1の僅差判定で下し、初挑戦で日本王座を奪取した。元WBA、WBC世界ミニマム級王者・大橋秀行会長(37)はジム設立8年目で初の王者誕生。00年3月8日、営団地下鉄日比谷線脱線事故で亡くなったジムメート、富久信介くん(当時17歳、麻布高2年)に、悲願のベルトを捧げた。


【写真:右こぶしを骨折しながら乱打戦に競り勝った川嶋=右】

 こぶしの痛みに耐えて我慢比べの乱打戦を耐え抜いた。4回、相手の堅い頭部を打った川嶋の右拳に激痛が走った。強打者ゆえの宿命、骨折。10回が終わったコーナーで、「痛みでグローブが取れません…」と打ち明けた。青黒く腫れ上がったこぶし。大橋会長は「中盤で骨折したみたい。すごい根性だ」。

 ジャッジは、僅差の判定勝ち。川嶋は、キャンバスに転がって、天国の富久くんに勝利の喜びを報告した。

 
【写真左:判定を待つ川嶋 写真右:勝利に感極まる川嶋 (管理人撮影)】

 69人が死傷する大惨事となった2年前の営団地下鉄日比谷線脱線事故。当時プロボクサーを目指して、大橋ジムに通っていた富久くんも巻き込まれて帰らぬ人となった。川嶋にとっては、スパーリング相手をつとめ、「よくアドバイスを求めてきて、パンチの打ち方も教えた」弟のような存在。ジムが主催した追悼試合ではメーンをつとめ、この試合の1週間前には、自宅を訪ねて、遺骨に線香を供えて、勝利を誓ってきた。

 会場には、富久くんの父・邦彦さん(56)の姿も。片隅で、涙を懸命に押さえながら川嶋の晴れ姿を追っていた。

 勝利への執念と、プロボクサーを志しながら果たせなかった富久くんへの思いがもたらしたジム初の王者誕生。元世界王者・大橋会長は「川嶋の持っている集中力、真面目さ、我慢強さが、ボクにあればもっと防衛できていた」。中心選手となった今も、最後までジムに残って掃除当番をこなす律儀な男が、いよいよ世界ロードに歩み出す。

★川嶋勝重(かわしま・かつしげ)

 1974年(昭49)10月6日、千葉・市原市生まれ、27歳。茂原北陵高では硬式野球部。97年2月にプロデビュー。00年12月に、東洋太平洋バンタム級王座に挑戦したが判定負け。01年8月には元WBA世界Sフライ級王者ヨクッタイ・シスオー(タイ)を破る金星で世界ランク入りし現在WBA同級7位。23戦21勝(14KO)2敗。1メートル68、右ボクサーファイター

★地下鉄日比谷線事故

 一昨年3月8日午前9時ごろ、営団地下鉄日比谷線中目黒駅付近で、下り電車が脱線、上り電車に衝突し、富久さんら乗客5人が死亡、64人が重軽傷を負う惨事となった。レールのゆがみなどを放置したのが原因で、昨年3月には警視庁が、当時のレール点検・保守責任者ら営団職員5人を書類送検した。

●スポニチ2002年4月21日

天国の後輩へ届け!川嶋王座奪取

 
ジム初の王者誕生!川嶋(右)の肩を抱く大橋会長


 日本スーパーフライ級タイトルマッチ10回戦は20日、後楽園ホールで行われ、川嶋勝重(大橋)が佐々木真吾(木更津グリーンベイ)との壮絶な打撃戦を制して2―1の判定で日本タイトルを獲得した。世界ランカー同士の対戦は開始早々から真っ向勝負。強烈な右ストレートで追い込み、最終10回にはこん身の右フックで王者をぐらつかせた。1週間前に00年3月に地下鉄日比谷線の脱線事故で亡くなったジムの後輩だった富久信介さん(享年17)の自宅を訪れ、遺影に手を合わせて勝利を誓った。観戦した富久さんの父・邦彦さんの前で大きくガッツポーズ。「喜んでくれたと思います」とうれしそうに話した。元世界王者・大橋秀行会長はジム開設8年目にして初の王者誕生となった。
 ▼佐々木真吾 全力を出し切った。最後、効いちゃいました。今後?ダメージは残っているのでやれればやりたい。川嶋君には世界までいってほしい。(WBA9位、史上初の公務員王者も無念の敗戦)

「ビッグ コミック オリジナル」2002年7月5日号  文・二宮清純
拳に秘めた決意
・・・・・・・・プロボクシング選手 川嶋勝重   
自らの後輩で、スパーリングもともにしたことのある高校生が、ある日突然、事故でこの世を去った。その可愛い後輩のためにも・・・・・。
決意を拳に秘め「世界」に挑む。

プロボクサーの川嶋勝重は、いつものように自らが運転するライトバンで米を配達していた。プロボクサーとはいっても、ファイトマネーだけで生活できる選手は、世界チャンピオンなどほんの一握り。川嶋も例に漏れず、日中は米屋さんで働いていた。

2000年3月8日、午前9時過ぎ。カーラジオから臨時ニュースが流れた。営団地下鉄の車両が脱線して反対側からきた電車に衝突、4人の死者と33人の重軽傷者が出ていると、アナウンサーがまくしたてるように伝えた。
「信じられないことが起こるんだなァ...」
川嶋は漠然と、そのニュースに耳を傾けていた。
次の瞬間だ。アナウンサーが口にした4人の死者の中に、聞き覚えのある名前があった。
「トミヒサ.....」
まさか!?と川嶋は耳を疑った。
「珍しい苗字だけど、アイツってことはないだろうなァ...」
夕方、いつものように横浜市内のジムに行った。ジムに近づくにつれ、不吉な予感がふくらんでいった。ジムには、それまで見たこともないほど大勢の報道陣が詰めかけていた。
不吉な予感は現実のものとなった。
犠牲者の中に「富久信介」という名前があった。
「もう信じられない。ただただそれだけでしたね.....」
視線を床に落として、ポツリと川嶋は言った。

富久信介君は私立麻布高校に通う高校2年生だった。この日は「英語」の試験日にあたり、普段より約1時間遅く横浜市西区の自宅を出た。
富久君は学業も優秀で、東大への進学を目指していた。その一方でボクシングのムシに取りつかれ「東大に行きながらプロボクサーを目指す」と周囲には語っていた。
川嶋は富久君にとってジムの先輩にあたり、何かとアドバイスを求められた。
振り返って川嶋は語る。
「結構、細かいことを聞いてくるんですよね。たとえば左フックを返すにはどうすればいいかとか。頭がいいというか、ちょっとコナマイキというか.....。でも憎めないヤツでした。プロになるというのは本気だったみたいですよ。思い出といえば、アイツ、いつもヒョウタン型の茶色の水筒を担いでジムに来ていたんです。それを、いつも更衣室に掛けていた。余程、お気に入りだったんでしょうね。それが見られなくなった時、無性に寂しさを感じました。アイツ、もう二度とジムには戻ってこないんだなって.....」

川嶋がプロボクサーになったきっかけは、ほんの偶然だった。
千葉県内の私立高校を卒業した川嶋はある大手企業の工場に勤める。中学、高校と野球をやっていたこともあり、社会人でも軟式野球部に入った。肩と足にはそこそこ自信があった。
そんなある日、高校時代の友人からボクシングのチケットが送られてきた。友人はプロボクサーになっていた。それがナマで見る初めてのボクシング観戦だった。
4回戦ボーイだというのに、久しぶりに再会した友人はリングの上で輝いて見えた。スポットライトを浴びてスターのように映った。
「あれは衝撃的でした」
振り返って川嶋は言う。
「こんな世界があるのか、と思った。よし、オレもやるぞと。すぐに会社を辞めて友達のアパートに転がり込んだ。昔から各闘技が好きだったので、眠っていた血が騒ぎ始めたのかもしれません」
21歳で大橋ジムに入門した。1年がたち、元ストロー級世界王者の大橋秀行会長に「プロテストを受けたい」と告げると、「ダメだ」と拒否された。アマチュア経験のない川嶋はボクシングの基本ができておらず、技術的にも粗さが目立った。
「そこでアマの試合に出場させたら、いきなり右一発でKO勝ちを収めた。それでプロテストを受けさせることにしたんです。正直言って最初は何も目立つところのない選手だったんですが、練習は真面目だし、集中力がある。それが今の彼をつくっていますね。」
弟子を見やりながら、大橋は言った。

着実に力を蓄えてきた川嶋に世界ランキング入りのチャンスが巡ってきた。
昨年8月27日、川嶋は元WBA世界スーパーフライ級王者で同級7位のヨックタイ・シスオー(タイ)と戦う機会を得た。勝てばヨックタイの持つ7位というランキングが手に入る。
「負けたら引退する」
そのくらいの強い覚悟で川嶋はヨックタイ戦に臨んだ。
現在は王座から陥落しているとはいえ、過去、世界王座を4度防衛しているテクニシャン。なかなか川嶋が得意とするインファイトに持ちこむことができない。
前半はほぼ互角。川嶋は後半、勝負に出た。8ラウンド、右クロスをクリーンヒットさせ、さらには左フックを顔面へ。9ラウンドは左右のフックを小気味よく決め、ヨックタイの足を止めた。
判定は3対0で川嶋。元世界チャンピオンとの打撃戦を制し、川嶋は自らを世界ランカーへと押し上げたのである。
振り返って川嶋は語る。
「やっぱり相手は元世界チャンピオン。手を出さなくても距離を詰めてくる。そのプレッシャーが凄かった。でもこのプレッシャーに打ち勝たないことには負けてしまう。この勝利は自分にとって大きな自信になりました」
この試合は信介君の父・邦彦さんも観戦していた。
川嶋は今でも大事な試合の前には、富久家を訪ね、遺影の前で勝利を誓う。
「お父さんに言われたんです。息子の分まで頑張ってくれ。川嶋さんはやれる人だから、とことんやって欲しいって」

遺影の前で誓ったことがある。
「もし世界戦ができるのなら、その時はアイツのイニシャルである"S・T"をトランクスに入れたい。アイツと一緒に戦いたいんです」

-------------------------------------------------------------------

「ビッグコミックオリジナル」2002年7月5日号を霊前に供えました。(管理人)

●日刊スポーツ2002年7月31

川嶋が豪快KOで初防衛、世界戦を熱望

<日本スーパーフライ級タイトルマッチ10回戦>
◇30日◇東京・後楽園ホール◇観衆2300人

王者川嶋勝重(27=大橋)が豪快KOで初防衛に成功した。同級1位結城康友(22=ヨネクラ)の手数に苦しみながらも随所で強打をヒット。5回に右カウンターからのラッシュで2度倒し、さらに追い詰めたところでレフェリーが試合を止めた。ジムの大橋会長が育った名門ヨネクラジムとの同門対決を制し念願の世界挑戦を熱望した。川嶋は22勝(15KO)2敗、結城は11勝(5KO)3敗4分け。

川嶋が5回、一気にたたみかけた。右カウンターでぐらつかせ、猛ラッシュで2度倒し、最後は連打でKO勝ち。98年3月の日本ミドル級王座戦では、ジムの笹脇がヨネクラジムの王者西沢に判定負けしたが、2度目の同門タイトル戦でリベンジした。だが川嶋は「最後のラッシュで右を痛めた。それにカウンターをあごにもらった」と反省を忘れなかった。
川嶋は現在WBA6位、WBC7位と世界を狙える位置にいる。「世界戦をやりたい。必ず世界チャンピオンになる」。世界挑戦を熱望する川嶋に対し、大橋会長は、この日の内容を踏まえ「(WBC王者)徳山なら右ストレートで倒されてた。(WBA王者)ムニョスならパワーでやられてる」と冷静に分析する。それでも4月の佐々木戦で右こぶしを痛め、1カ月前に血尿が出る状況を克服した勝利を高く評価。「チャンスがあればすぐにでもやらせたい」と世界を見据えた。
▽日本スーパーフライ級タイトルマッチ10回戦
王者・川嶋勝重(大橋)=勝ち{KO 5回2分34秒}同級1位・結城康友(ヨネクラ)=負け

●スポニチ2002年7月31日

川嶋KOで初防衛 日本Sフライ級

日本スーパーフライ級タイトルマッチが30日、東京・後楽園ホールで行われ、強打を誇る王者川嶋勝重(大橋)が結城康友(ヨネクラ)を5回2分34秒でKO、初防衛に成功した。結城の手数に手を焼いたが5回、右ストレートでぐらつかせると、一気に襲い掛かってダウンを奪った。立ち上がってからも攻撃の手を緩めずに連打で再びダウンを奪い、最後もラッシュで試合を決めた。王座を奪った4月の佐々木戦で痛めた右手首が完治せず、オーバーワークで試合の1カ月前に血尿が出るなどコンディションは最悪に近かった。世界ランクもWBA6位(WBC7位)まで上昇。「ここまで来たら(世界戦を)やりたい」と意気込み、大橋秀行会長も「課題はあるが、やるなら来年」と世界を見据え始めた。

●スポーツ報知2002年7月31日

川嶋が初防衛  日本スーパーフライ級
 

 ボクシングの日本スーパーフライ級タイトルマッチ10回戦は30日、東京・後楽園 ホールで行われ、チャンピオンの川嶋勝重(大橋)が挑戦者で同級1位の結城康友(ヨネクラ)を5回2分34秒、KOで下して、今年4月に奪取したタイトルの初防衛に成功した。
 パワーで勝る川嶋は、立ち上がりから右の強打を打ち込み優勢に立ったが、手数の多い結城に対し、攻撃が単発になりがちだった。5回、右ストレートをきっかけにした連打で2度ダウンを奪い、さらに追い詰めたところでレフェリーが試合を止めた。

●サンケイスポーツ2002年7月31日

川嶋がレフェリー・ストップで初防衛

日本Sフライ級タイトルマッチ10回戦(30日、東京・後楽園ホール)、大橋ジム開設8年目で初の王者となった川嶋勝重(27)が5回、右ストレート、左フックからの連打などで2度のダウンを奪い、さらにラッシュし、レフェリー・ストップで初防衛。「パンチももらったし、強い相手だったら、やられていた」と反省したが、王座を獲得した4月の試合で右手首を痛め、1カ月前には血尿も出たピンチを乗り切った。来年の世界挑戦を視野に入れる。

いつものように試合前、7月27日に息子・信介の霊前に線香を手向けて必勝を誓ってくれました。信介の遺影と共に、当日応援させていただきました。(管理人)

その他の試合結果(7月30日後楽園ホール)
スーパーバンタム級10回戦
土屋治紀(大橋)● 3RKO ○和仁健一郎(チャイナクイック渡辺)
                日本バンタム級8位

ライト級8回戦
江口慎吾(大橋)○ 7RKO ●シーサワット・サクムアンクレーン(タイ)
                タイ国ライト級7位

フェザー級8回戦
望月義将(大橋)○  判定  ●三好一範(千里馬神戸)

71kg6回戦
河井 了(大橋)○  判定  ●小松 学(チャイナクイック渡辺)

バンタム級6回戦
太田善士(大橋)● 1RKO ○今西秀樹(チャイナクイック渡辺)

有永政幸
日刊スポーツ2004年6月29

有永、判定で新王者/ボクシング



写真=日本スーパフライ級の新王者になった有永(撮影・中島郁夫)


<プロボクシング:日本スーパーフライ級タイトルマッチ>◇28日

 有永政幸(25=大橋)が日本スーパーフライ級王座を獲得した。王者・川端賢樹(32=姫路木下)に挑戦。5回に右のパンチを頭部に浴びてダウンしたが、細かい連打でポイントを稼ぎ、2−1で判定勝ちした。WBC、WBAのランクに名を連ねる川端を破ったことで世界ランク入りが確実になったが、有永は「こんなに弱い世界ランカーはいないのでもっと練習します」と恐縮していた。

サンケイスポーツ2004年6月29

有永が日本Sフライ級王座初戴冠

 プロボクシング日本Sフライ級タイトルマッチ10回戦(28日、横浜アリーナ)。挑戦者・有永政幸が、2−1の判定勝ちで王者・川端賢樹を下して、日本王座初戴冠。00年10月に元世界王者・山口圭司にKO勝ちした実力者が、2度目の挑戦で日本の頂点に就いた。5回には王者の右のパンチを浴び、ダウンする大ピンチ。だが、細かい連打でポイントを奪い返す逆転勝利。「これで失敗すれば、進退も考えていた」。引退覚悟で臨んだ背水の陣でついにベルトを巻いた。

土屋治紀
昭和52年5月10日生。神奈川県横浜市出身。平成9年5月デビュー。18戦10勝(5KO)7敗1分。

◇2002年7月30日
スーパーバンタム級10回戦
土屋治紀(大橋)● 3RKO ○和仁健一郎(チャイナクイック渡辺)
                日本バンタム級8位

        

ランキング入りへのチャンスでしたが、残念です。次回に期待してます。(管理人)


江口慎吾
昭和52年1月30日生。神奈川県横浜市出身。平成11年1月デビュー。日大高1年時にボクシングを始め、アマ通算15勝(10KO・RSC)6敗で最高成績は98年全日本選手権ベスト8。日大4年のときに大橋ジムからプロデビュー。01年秋の東日本新人王は準優勝。平成15年5月19日、初挑戦で王者佐々木基樹(27=協栄)を破り、日本スーパーライト級王者。175センチの右ボクサーファイター。

●サンケイスポーツ2003年10月19

江口が2度目の防衛−日本Sライト級

 プロボクシングの日本Sライト級タイトルマッチ10回戦(18日、後楽園ホール)。王者・江口慎吾(26)が効果的なショートのストレート、アッパーで大差の3−0判定勝ち。2度目の防衛に成功した。山形大大学院で黄砂を研究し博士号を持つ金山晋司(33)は、“ドクター王者”の夢ならず。また、6月にWBC世界Sフライ級王者・徳山昌守(29)=金沢=に挑戦して判定負けした川嶋勝重(29)が、判定勝ちで再起を飾った。

 10回戦ボクサーになって初めてフルラウンドを闘った江口は「初防衛のプレッシャーでしたかね。反応しているつもりでも、ジャブを食っちゃって…」と苦笑い。挑戦者とは1年前にスパーリング。力の差を感じなかったため、危機感もあった。中重量級は世界の層が厚く、世界挑戦の実現すら難しいが、大橋秀行会長(38)は「スケールの大きな選手に育てたい。(米大リーグの)松井選手のように、海外で活躍できるボクサーに育ってほしい」と期待。

▼日本Sライト級タイトルマッチ10回戦
同級王者 江口慎吾(大 橋)63・5キロ 判定 同級1位 金山晋司(国 際)63・5キロ
※江口は初防衛

戦績 16戦15勝(11KO)1敗

●日刊スポーツ2003年5月20

江口5回TKO新王者

 プロボクシングの日本スーパーライト級タイトルマッチが19日、東京・後楽園ホールで行われ、同級5位江口慎吾(26=大橋)が王者佐々木基樹(27=協栄)を撃破して新王者となった。5回1分すぎにダウンを奪うと、続けざまに左右の連打を浴びせて1分45秒、TKO勝ちを収めた。プロ5年目で日本王座初挑戦だった江口は14勝(11KO)1敗、初防衛に失敗した佐々木は19勝(12KO)5敗となった。

 江口は「これが最初で最後のチャンス。両親の理解があって続けてきたけど、結果が出なきゃ踏ん切りをつけなければいけない、と思っていた」と引退覚悟の初挑戦だったと明かした。高校時代にボクシングを始めるも日大ボクシング部は「3日間で逃げました」。大学3年時に大橋ジムに入門して、農獣医学部を卒業後もボクシングに専念。2月にはスーパーの警備員のアルバイトも辞めて初挑戦の機会にかけていた。大橋会長は「奇跡だね。これから大化けするんじゃないか」と驚いていた。

 ◆江口慎吾(えぐち・しんご)1977年(昭和52年)1月30日、横浜市生まれ。日大高1年時にボクシングを始め、アマ通算15勝(10KO・RSC)6敗で最高成績は98年全日本選手権ベスト8。日大4年のときに大橋ジムからプロデビュー。01年秋の東日本新人王は準優勝。175センチの右ボクサーファイター。

日本スーパーライト級タイトルマッチ10回戦

同級5位 江口慎吾(大橋)=勝ち{5回1分45秒 TK0}王者 佐々木基樹(協栄)=負け

●スポーツ報知2003年5月20

江口が新王者
日本スーパーライト級タイトルマッチ

 日本スーパーライト級タイトルマッチ10回戦は19日、東京・後楽園ホールで行われ、挑戦者で同級5位の江口慎吾(大橋)がチャンピオンの佐々木基樹(協栄)に5回1分45秒、TKO勝ちし、新王者となった。
 
 佐々木が優勢だったが5回に左フックの相打ちで佐々木がふらついた。江口は追撃の右でダウンを奪い、立ち上がったところを連打すると、レフェリーが試合を止めた。

 ◆江口慎吾(えぐちしんご)99年1月プロデビュー。左フックが強い右ボクサーファイター。戦績は15戦14勝(11KO)1敗。26歳。横浜市出身。

●サンケイスポーツ2003年5月20

江口がTKO勝ち…強打の新星誕生

KO率73%、強打の新星が誕生だ。王座初挑戦の挑戦者・江口慎吾(26)が佐々木基樹(27)に5回レフェリーストップのTKO勝ちし王座を奪取した。日大農獣医学部出身の新王者はこの試合をラストチャンスとして臨み、一発戴冠。来月にWBC世界Sフライ級王座に挑戦するジムの先輩、川嶋勝重(28)の露払い役を立派に務めた。
 相打ちで、決着がついた。互いの左フックが、顔面をとらえた瞬間、王者の視線が宙に飛んだ。江口が追 撃の右ストレートを放つ。王者の体が空中に浮き、腰からキャンバスに落ちるダウン。挑戦者のパワーが、すさまじい輝きをみせた。
「あのときには気持ちで負けていた。だから今回は…」。引きずっていた後悔がついに晴れた。01年東日本新人王決勝戦。5回にダウンを奪い、あと1度ダウンをとればKO勝ちとなるとき、江口の弱気の虫が騒いだ。手堅くいったつもりが、最終回に逆襲を受けて手痛い星を落とす。遠回りが江口を成長させた。
「人生で一番、練習した。この試合で結果を出さなければ辞めるつもりだった」。大学卒業後も理解をしてくれた父・南夫さん(55)、母・貞子さん(52)を会場に呼び、やっと孝行もできた。来月に川嶋の世界初挑戦を控える大橋会長は「奇跡の一発だね」。江口の戴冠がジムに勢いをつけた。(奥村展也)

◇2002年7月30日

ライト級8回戦
江口慎吾(大橋)○ 7RKO ●シーサワット・サクムアンクレーン(タイ)
                タイ国ライト級7位

   

見事なKO勝ちでした。11勝のうち9KOと強打は大変魅力的で、将来世界も狙える逸材と期待していますが、素人の私は、江口選手のガードが低いのが気になり、ラッキーパンチを貰わねばいいがとハラハラしました。激励賞の御礼の電話を必ずかけてくれる礼儀正しい人です。(管理人)

望月義将
昭和56年9月29日生。神奈川県横浜市出身。平成12年11月デビュー。9戦8勝(3KO)1分。

◇2002年7月30日

フェザー級8回戦
望月義将(大橋)○  判定  ●三好一範(千里馬神戸)

        

弱冠20才で無敗です。僅差の判定勝ちでした。今後の精進と活躍に期待してます。(管理人)

河井 了
昭和55年9月10日生。神奈川県横浜市出身。平成11年8月デビュー。5戦4勝(2KO)1敗。

◇2002年7月30日

71kg6回戦
河井 了(大橋)○  判定  ●小松 学(チャイナクイック渡辺)

        

今後の活躍に期待してます。(管理人)


太田善士
昭和51年9月19日生。静岡県賀茂郡出身。平成10年8月デビュー。12戦4勝(1KO)5敗3分。

◇2002年7月30日

バンタム級6回戦
太田善士(大橋)● 1RKO ○今西秀樹(チャイナクイック渡辺)

        

今回は実力を出す前に終わってしまい、残念な結果でした。今後の活躍に期待してます。(管理人)


森本裕哉
2000年プロデビュー。同年第1回富久信介杯受賞。戦績は14戦7勝(4KO)7敗。神奈川県出身。23歳。

◇2002年10月18日
バンタム級
森本裕哉(大橋)○ 判定 ● 高見沢孝介(輪島スポーツ)

◇2002年4月20日
53.0kg 6回戦
森本裕哉(大橋)○ TKO ● 福井大介(チャイナクイック渡辺)

       

ー6回戦は2試合目。今後、日本ランカー、日本王者、そして世界へと夢を実現して欲しいと思っています。応援してます。(管理人)

フェニックス・バトル 第3回「富久信介杯」